さぽろぐ

読書・コミック  |札幌市中央区

ログインヘルプ


スポンサーリンク

上記の広告は、30日以上更新がないブログに表示されています。
新たに記事を投稿することで、広告を消すことができます。  
Posted by さぽろぐ運営事務局 at

2010年08月02日

PHASE 1-1 プロジェクト・オーダー(開発指令)

ロア――正式には、戦術戦闘機F01ロアと、この国の空軍当局に名付けられている航空機について語る前に、私が何者であるか、皆さんに自己紹介しておくべきだと思う。
私はリケル・ナウエ。本名ではないが、この国ではこれで通している。本名の意味をこの国の言葉に意訳したもので、私のこの国での最初の雇い主が、名付け親だ。
当時はロアのメーカーである王立航空技術工房(RATF)の技術者で、ロアの基本設計から携わった開発主務者だった。引退してもこの国に残ってしまった今は、中学校の子供達に基礎的な技術を教える小さな塾を、恩給を受けながら細々とやっている老いぼれエンジニアである。

私がこの国にやって来たのは30年も以前になる。その時もう40才にもなり、技術者としてはすでに、実戦力としておぼつかないとされる年代になっていた私は、故国で会社を辞職する破目に追い込まれ、まだ工業技術的には未熟だったこの国に、ひょんなきっかけから職を求めてやって来た。幸い、設立されたばかりのRATFに拾ってもらい、2年が過ぎた頃、国王の発案で開始されたのが、国産戦闘機開発計画だったのである。

私が開発主務者に選ばれた理由が何だったのか、所長ははっきりした答を私に与えてくれた事は、今に至るも無い。
ただ、技術者の中で最も年嵩であったというだけだったのだと、今では私が一人合点に考えているだけである。
何はともあれ、突然天から降って来たかのごとき大仕事が、たった1本の電話の呼び出しから始まったというのは、いかにもこの国とあの国王ならではだ。私と所長、それに製作現場の長である技手長は、取る物も取り敢えずに、呼ばれるままに王宮に急いだのだった。
雨期が始まる直前の、暑い日だったのを憶えている。
王宮のセキュリティというのは、基本的に人間の記憶が頼りの、ごく原始的で簡単なものなので、すでに国防省関係で出入りの実績がある私達は、顔パスである。
会議室に通されると、すでに国王はじめお偉方が待っていた。
私は国王をいただく国の生まれ育ちなので、これだけでもう恐縮至極である。
この国の作法などすっかり忘れてしまって、出身国の作法で最敬礼してしまっていた。

国王は記録上では私より2才若いのだが、第一印象は逆に少し年長に見える。この陽気でエネルギッシュな国においても、国民の誰よりも光り輝いて見える方だ。
直接お会いするのは初めてである。
その彼は、私達を着席させるなり、言ったのだ。
この国で製作可能で、運用出来る戦闘機を作りたい、と。

御存知かも知れないが、この小さな国は豊かな地下資源と沿岸の海洋資源を賢く利用して、経済的には大変豊かな国である。小規模ながらバランスの取れた工業も有し、国内の需要を充分賄っていた。少しだが隣国との貿易にも回せる生産量を誇っていたのである。
この地域では最も古く、力のある族長の家系が国を治め、他民族が治める近隣の国々とも、適度なパワーバランスを保ち、外交上も安定していた。
つまり国防上、国産戦闘機を生産する必要など、ほとんど無かったのである。
事実、空軍は存在したが、装備機は軽飛行機改造のCOIN機(局地戦用偵察攻撃機)と海洋監視用軽哨戒機ばかりで、ガスタービン・エンジン搭載機は、国王専用機と少数のヘリコプターばかりだったのだ。空軍の仕事そのものも、国境地帯の警備や同任務の陸軍の支援、海難捜索や密輸船の監視――この平和な国に麻薬を持ち込もうとする馬鹿者がいるのだ――等、大国の目からすれば警察や沿岸警備隊の任務とされるようなものばかり。戦闘機などという物騒な兵器を持つ必要など無いように思われた。
実際、私達と同席した首相も内務大臣――この国の小さな軍隊に国防省は不要で、軍は内務省の一部局によってシヴィリアン・コントロールされていた――も、国王になぜそんな物が必要なのかとお訊ねしたものである。
彼の答は明解だった。
それを作る能力が我が国にある事を、対外的に実証して見せる事が重要なのだ。使うために必要なだけなら、外国の優秀な、実績のある機種を必要数買えば良い。だが、その技術は、そのまま国全体の財産となる。有形無形の形で我が国の自信と武器となるのだ、と……。
つまり、国家レベルの技術開発計画だというわけである。

後に、麻薬密輸業者の活動が激化しつつあり、将来航空機による密輸も考えられるようになったので、この阻止のための戦闘機が、少数だが本当に必要であるという事を知らされたが、それは計画がスタートした後での事だった。当時の私にはあずかり知らぬ事だったのである。

国王は出来るかと問われた。
即答は出来ない。
RATF始まって以来の大仕事である。所長は国王に許しを請い、10日後に奉答いたしたいと述べた。そして、こう質問したのだ。
その戦闘機は、何年後に開発完了しているべきだとお考えか。
今のRATFの陣容で、簡単に出来る仕事ではないが、所長は「出来ない」と即答したくなかったのだ。「出来る」ための方策を持った回答を用意したかったのである。それがかなりの予算と新しい人材を要するという回答でも、それが不可能かどうかは国王と2人の大臣の判断の範疇だ。RATFとしては、それが技術的に可能かどうかが、求められている答なのである。
そしてそれを検討し、答えを出すためには、最低限必要なのが開発期間だ。どんなに期間がかかってもかまわないのなら、技術の世界では、理論上実現可能だとされた技術は、必ず実現可能だ。
だから、想定開発期間が決まっていない開発は、現実のマーケットでの実用を想定していないと云って良い。
国王は、この開発されるべき技術には、市場が存在すると宣言された。それは国威発揚という曖昧模糊としたものではあるが、完了した時点で、この国にとって意味を持つ内容でなければならないのだ。
さらに、現実に空軍に配備するのなら、配備開始時期が予定されていなければ、その時に想定される状況――この場合は国防状況――に即した性能の物を想定出来ない。それがあって初めて、開発予算が見積もれる。それが現実的なものになるのか、それとも見積もり不能なのかどうかは、それからだ。
この質問に、国王はにこりと微笑んで、答えられた。
出来れば3年、長くても5年で完了せよ。その期間で出来る、最高の性能の戦闘機が欲しいのだ。
かの堀越次郎は、ゼロ戦開発に1937年から1940年までをかけたと聞く。約4年だ。国王はこれを想定されているのだろう。だが、私も知っていたのだが、堀越氏はそれ以前に2機種、戦闘機開発を手掛けている。1機種は制式化され、96式艦上戦闘機となって、やはり2年程度、その前の7試艦上戦闘機が初期飛行試験段階で不採用になったが1年、合計6年間の開発経験を、1932年から1936年までの4年間で経験している。すでに2機種で開発主務として働いた経験がある天才の仕事を、その天才が持ったチームより少ない人数で、しかも戦闘機開発の経験ゼロの者ばかりなのにやらせようというのだ。
自分の胸の内の、小さく燃えるものはあったが、無茶だと思った。
だが、あの国王の御前で、そんな弱音は吐けない。それは、彼の目を、間近に見た者にしか判らない感慨だろう。
そして、国王はお言葉を付け加えられた。
金の心配は私と政府がする事だ。君達は気にするな。
所長は私を見た。
私は、円卓の下で3本の指を見せた。
最低、3つの開発案を次の御前会議に提示するべきだ。
技手長は、10本の指を広げて見せた。
最低、開発試作の作業だけで10人の工員が必要だ。(今の工房の工員は12人、手空きは6人だった)
そして、2本の指。
2人、技手長が必要だ。(今のRATFに技手長は彼しかいない。工務長はいなかった)
所長は顔を上げ、答えた。
陛下、RATFとしての概算要求資金も含めて、3案を10日後に提示奉りたく存じます。それで、よろしゅうございましょうか。
国王は、頷いた。

工房に戻ってからが大騒ぎとなった。
工房の総勢は30人。今までは輸入した軽飛行機を空軍の色々な用途のために改造するのが主な仕事で、一から飛行機を作る事など、暇な時の自主研究でペーパープランを考える程度がせいぜいだったのだ。それも、大部分がスポーツ用軽飛行機のプランだった。設計部門は6人だけ。私と、もう1人アランという私より3才若い男が外国人だ。他の4人は国費留学で先進国の大学に学んだ、パワーはあるが経験不足の、この国の若者達だけだ。
私もアランも、自分の故国である“先進国”で、軽飛行機の設計業務に携わった事はある。大メーカーの下請けで戦闘機の部品設計をやった事も、私はあった。アランも、軽攻撃機の尾翼の、構造の設計だけやった事がある、というだけだ。コンセプトから一つの機体設計をまとめた事など、無い。これでは、大学で全体的な設計手法を学んで間が無い、若いこの国の技術者達の方がましかも知れない。
1時間後、若い技術者達の「喜びのダンス」の輪舞で破壊されかかった設計室を修復してから、やっとまともな話が出来るようになった。私とアラン、そして若手の中では最も年嵩のマキルと、3人で叩き台となるコンセプト・モデル(概念設計案)を作ってみる事になった。
私は言ったものだ。
先ずこの工房の現状で、年産1機でも良いから、製作可能な機体を考えよう。エンジンは輸入。超音速性能は高望みしすぎだろうから、亜音速で運動性重視の物が良かろう。ちょうど、亜音速高等練習機を単座にしたような機体なら、設計も比較的楽だし、用途は軽攻撃機だが、手本になる外国の既製機もあるから、1機輸入してもらって研究材料にしよう。
私はマキルに、入手可能な軽攻撃機(中古で充分!)に、今何があるのか調べてくれるよう頼み、アランは、適当な既製エンジンのリストアップと、国産出来そうな装備品とその国内メーカーのリストアップをする事になった。私はと云うと、空軍の3つある基地を回り、軍の整備兵達が、どの程度の機体を整備可能か、再教育プログラムの骨子も含めて調べて来る事になったのである。
基本調査期間は、7日間とした。残り3日間で、基本コンセプトを含めた国王への回答を、まとめるつもりだった。
  

Posted by 壇那院 at 19:33Comments(0)軽戦闘機 ロア