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2011年08月28日

PHASE1-5 チーフ・デザイナ(設計主務)

エンジンの選定数値条件には、次の様な考え方と意味があった。
仮想標的として御前会議で空軍側が指定したのは、夜間計器飛行中の、ターボプロップを含む中型軽飛行機又は小型輸送機、及び昼間有視界飛行中の単発を含む小型軽飛行機だった。具体的な型としてはターボプロップ単発軽輸送機のプラトゥス・ターボポーター、双発軽飛行機のパイパー・キングエアから、単発軽飛行機のセスナ152までの範囲の機体が相手という事になる。
速度は90ノット(時速167キロ)から200ノット(時速364キロ)で、3G旋回が可能な飛行機が相手ということになる。
ヴァイパーの他に、先ず候補になったのは、ジェネラル・エレクトリック社製のJ85だった。直径わずか550ミリのピュア・ジェットエンジンなのだが、最大推力は1700キロにもなるのだ。ただ、このエンジンはアメリカ製だ。アメリカ政府の輸出許可を取り付けるのは、かなりの困難が予想された。(日本政府からIHI・F3の輸出許可を取り付けるよりは簡単だろうが……)又、このエンジンは基本的にはアフター・バーナ付きの超音速機向けのエンジンで、アフター・バーナを持たないピュア・タイプの機種は、セスナA-37Bを最後に、搭載航空機が無い。メーカーのGE社が、再生産を引き受けるかどうかは、ちょっと怪しい状況だった。
無論、アフター・バーナ付きタイプは、今でも各国空軍のF-5向け補用エンジンが生産されているので、GE社の能力的には再生産は充分可能なはずである。もともとの搭載機であるF-5が途上国向け輸出機であり、比較的輸出審査が甘い機種なので、そのエンジンであるJ85も、政府の輸出許可については、他のアメリカ製品を軍用機用品として選定するよりは、期待出来る事は期待出来るのだ。
すでに全タイプのエンジンが補用生産もしていないのが判っているオーフュースより、はるかに入手可能性は高いという事だけは確実だった。
早速アメリカのGE本社に問い合わせなければならなかった。とにかく、エンジン選定に使える時間は、あと2日程度。絞り込んだエンジン機種が3機種だとして、3パターンのエンジン取り付けスペースを設定しなければならない。胴体の基本設計に余裕を持たせて、時間稼ぎをするにも、性能にあまり大きな格差があると、後で苦しくなる。
ヴァイパーの方は、無論OKだった。元々この国は、近代国家としてはフランスの植民地から独立して成立した国なので、ご多分に漏れず、イギリスの援助で独立した歴史的背景がある。又、先々代の国王が交渉上手の人だったそうで、フランス政府からの技術援助を40年前から引き出していたので、ラルザックの輸入も不可能ではあるまい。(ラルザックはSNECMA社単独開発ではなく、仏独共同開発なので、少し難しいかも知れないが……)
マキルとアランのネットワーク接続用PCは、この選定の、情報収集のために2日間、ほぼ起動しっ放しだった。
アランはイギリスと、マキルはアメリカとフランスのメーカーへの問い合わせメールとスカイプで、1日の半分が潰れてしまっていたのである。

3日目の昼に、3人に所長を交えてミーティングを持った。
私としては、エンジン評価用試作機を2機作ることとし、ヴァイパーとJ-85とすることにしたかった。
アメリカGE社からの返答で、まだピュア・タイプJ-85を、標的機用エンジンとして生産しているということだったのと、最新型のヴァイパーを提供出来るというロールスロイス社の返答があったからだ。
だが、所長の意見は全く次元の異なるものだった。
所長は、先ず国務省渉外部と商工部に問い合わせてみるべきだろうと言った。我が国がアメリカの大手企業と取引経験が浅い事を踏まえると、政府は付き合いの長いイギリス企業の製品であるヴァイパーが良いと云うかも知れない。これは、後々、部品や予備エンジンの調達、又、整備員の教育にも関わって来る問題だ。
確かに整備兵のエンジン教育はメーカーに頼まねばならない。全般的にヨーロッパ式の教育理念が浸透しているこの国で、エンジン整備兵だけがアメリカ式の技術教育を受けているというのも、バランスを欠くはなしかも知れない。
整備兵の教育レベルを初期調査したのは自分だった事を、その時になって思い出した私だった。
確かに、整備兵の教育をアメリカ式にした場合、教育体制の構築にも、今までのノウハウが全く生きない可能性がある。
私達は国務省商工部に連絡をとることにした。

翌日、くだんの商工部の担当者から面談したい旨の連絡があり、私と所長が出向くことになった。アランとマキルは、設計室に残って胴体の基本構成の検討を続けていた。

担当官の名はリベクといった。結果的にこの先、彼とは長い付き合いになった。フランス帰りの31才。出身部族の血筋で、黒い上にも黒い男だった。当時は、主任といった地位だったが、今では局長クラスである。そろそろ引退のはずなのだが、この国の役所は定年というものが無い。医者に引導を渡されるか、自分から引退を宣言しなければ、公務員は引退しないのだ。(大臣だけは最大任期が12年と憲法で決まっている。王政の国には必要なルールだろう)
さてそのリベク氏だが、とにかく社交的な男で、根っからの技術者である私や所長には、第一印象として「シンドい奴」という感想を持つような、言葉を駆使したコミニュケーションが苦手な私などには、苦手なタイプだったが、商工関連分野の外交官としては、かなり優秀そうだいう感覚もまた、感じさせてくれる相手だった。
そこでリベクは、開口一番、とんでもないことを言い出したのだ。
今のまま所長がプロジェクト・リーダー(開発主務)を兼務しているのは、今後は無理があると思いますよ?
何故なら、今後所長には、私(リベク)を通じて海外メーカーとの部品輸入交渉をやってもらう事になるでしょうから、内務としてのプロジェクト進行管理と設計審査業務を担当する余力は無いだろうと思うのです。
所長は大きく頷いた。
今、チーフ・デザイナ(設計主務)は任命されていますか?
所長の白髪頭は否定の意味に動いた。
リベクは考え込むような仕草を見せたが、どうもわざとらしい様に見えたのは、私の気のせいか?

いや、気のせいではなかった様だ。
所長は私に顔を向けると、こう言ったのである。
リケル、設計主務を担当してくれないか? 命令はしたくない。RATFは軍隊でもないし、民間企業でもないのだから、こういう事は個人が自主的に引き請けてもらいたいのだ。
私はかなり慌てて頭を振ったのだと思う。後で軽く首が痛かった。
所長、私はマキルに、形式だけでもやらせてやりたいと考えているのです。私もアランも、確かに小規模な開発設計経験がありますが、そんなものは吹けば飛ぶような代物で、自信なぞにも繋がらないし、当然、具体的なノウハウなぞも大して掴んではいないのです。そうとなれば、私達もマキルもスタートラインは同じです。ならば、若いマキルの方が適任でしょう。それに、マキルはこの国の人間ですが、私達は外国人です。いつかはこの国を離れて帰国する身です。そんな者が、貴重な戦闘機開発のノウハウを最大限会得してしまえる立場になるべきではありません。……実は、このことはこの計画が持ち上がった時から、アランと相談してあったことなのです。
ではアランに頼んでも、同じ答が返って来るということなのだね?
そう思って頂いて結構です。無論、アランなりの考えで、別の答が返って来る可能性も否定は出来ませんが。
イギリス英語とセーシェル訛りのフランス語のチャンポンで、こういう複雑なニュアンスを含んだ会話をするのは、結構疲れる。
所長の、歳の割に皺深い顔が、妙な具合にほころんだのは、絶対に私の気のせいではない。
リケル、いや、XX君(私の母国での名前だ)、君はこのプロジェクトが終わっても、すぐには帰国したりはしないよ。君の国の義理堅い国民性は、私も承知しているつもりだ。だから、私はアランではなく君を選んだ。
やはり、そういう事だったのか……。
所長が、リベクに会うために私を同道したのはつまり、既に私に目を付けてーーこの国では私の故国とは逆に「指を向ける」と云うーーいたという事だったのだ。いや、リベクも、所長とグルだったと考えた方が、良いのかも知れない……。
少し、考えさせて頂きたい、と私は言った。とにかく、アランと相談したかった。それに、帰国時期が確実に3年後以降になるがと、妻に相談する余裕も欲しい。

結局、その場を設定した表面上の目的である、アメリカ企業の製品を主要モジュールとして購入する構想は、リベクの判断では却下だった。
整備教育体制からして、やはり問題があるというのだ。
国務省は学校教育も管轄しているので、このあたりの判断も入り込んでいたと思う。
後で役所間の足の引っ張り合いを予想して、げんなりする必要が無いのが、小さなこの国の良いところだ。

設計主務の話は、RATFに戻ってから、再開することになった。アランと、マキルを交えて、だった。

だが結局、私は帰宅後、結果報告という形で妻に話すことになったのである。
アランもマキルも、私がチーフでOKだと、あっさり言ってしまったのであった。
  

Posted by 壇那院 at 01:16Comments(0)軽戦闘機 ロア