カタりは壇那院
http://lightfighter.sapolog.com
カタりは語り、そして騙りでもある。小説とはあくまでフィクションであるから、筆者は見て来たようにカタる講釈師なのだ。
ja
壇那院
2014-01-23T02:09:43+09:00
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PHASE1-7 ベーシック・デザイン・ポリシー(基本設計方針)
http://lightfighter.sapolog.com/e408889.html
私はひもの端の輪に首付きの画鋲を掛け、基地の印の一つに刺した。300キロの位置の輪に、赤ペンを差し込んだ。
要するに、即席のコンパスである。
これを使って、3箇所の空軍基地から赤い同心円を描いた。300キロ、450キロ、600キロの半径を持つ3重円が3つ、という事である。
特に私は、450キロの円の赤線を、ことさらに太く描いた。この半径が、この国の国土のほぼ全部を3つ円で覆い、かつまた隣国との国境上空の3分の2をカバーする。領海の半分も、この円内だ。
作戦時、最大に進出出来る距離を、「戦闘行動半径」という概念で言い表すのだが、新戦闘機に必要な航続距離の、ひとつの指標である。標準作戦装備での、新戦闘機の最大搭載燃料で、どこまで基地から進出出来るのかを表す数値だ。
知らない読者もおられるだろうと思うので解説すると、軍用機という物は大概の作戦行動では、基本的に基地を出発したら同じ基地に、無着陸で帰投する。つまり作戦空域まで進出して作戦行動を行ない、出発した基地に帰るのである。
当然「標準的な作戦行動」というものは実戦では存在しないが、想定としては規定する事が出来る。幾つかの想定「標準的」パターンでの作戦行動で、軍用航空機が基地から進出出来る最大距離の事を「戦闘行動半径」と呼ぶのだ。
新戦闘機の場合、基地を離陸してから高度6000メートルを経済速度で巡航進出し、約15分間の索敵行動(経済速度のまま)の後、発見/追尾した目標を攻撃するために5分間のエンジン全開での機動飛行を行なった後、基地に帰らなければならない。基地上空での15分間の上空待機の分も、燃料搭載量に上乗せにするのが、各軍用航空機メーカーでの常識になっていた。
たった5分間だが、全開での5分間の燃料消費量は、経済速度で巡航する場合の3倍から5倍になる。なおかつ飛行速度は1.5倍程度にしかならない。
我々に課せられた新戦闘機の戦闘行動半径は、この時点ではあくまで私の私見だったが、450キロは最低必要であるという事だった訳である。当面の開発目標値というのは、正式な仕様書を受け取る前では、かなりの余裕を持った、考え得る最高の目標数値にしておくべきだと、私は考えていた。
私は設計室の全員に向かって宣言した。
みんな、新戦闘機の最大戦闘行動半径は、索敵ミッションで300カイリ(540キロ)を目標にし、最低250カイリ(450キロ)を絶対クリアラインとする。大雑把に見て、フェリー・ミッションでの最大航続距離にして700カイリ(約1300キロ)だ。
これは、400ノット(時速720キロ)以上の経済速力になると予想される新戦闘機の最大飛行時間は、2時間程度にはなるという事でもあるので、コクピットの人間工学的設計は、あまり窮屈であってはならないという事にもなる。コクピット設計担当は、そこのところを留意していてもらいたい。
巡航時の安定性についても同様だ。あまりじゃじゃ馬では駄目なのだと、考えてもらいたい。パイロットを不必要に疲れさせてはいけないのだ。
標準的ミッションで1ソーティの飛行時間は90分以上になる可能性があるのだから、その時間内を緊張しっ放しにさせるような乗り物では、それだけで帰投率に影響しかねない。
だが、機体の規模が単発セスナ程度のものでしかない計画は、変更しない。もうこの時点で、この新戦闘機の開発計画は、結構な無理難題になってきていたのである。それを、RATFにその時所属していた、6人の設計技術者と3人の生産管理技術者、12人の組立技能者でこなさねばならないのだった。
*
昼には、2日前に技手長から昇進したばかりの工務長が設計室にやって来た。
設計案が正式に承認された場合──その公算は高かったが──必要な先行手配の打ち合わせだった。
先ず、実験設備が足りなかった。
試作機の全体組立作業に必要な、大型定盤もRATFには無い。これも、なんとかしなければならない案件だった。
風胴の対応速度と容量が足りない。初めての全体開発なので、今までの小さな風胴では、適用する模型が小さすぎて、充分な近似値が得られないのだ。
胴体の予圧キャビン全体の技術検証に必要な、加圧試験機も無かった。
これは今回の新戦闘機開発プロジェクトだけに使われる物ではないので、RATFの設備投資として、別枠で予算計上し、国に予算要求しなければならないのだが、これもRATFで内部製作する場合も想定出来るので、設計見積りが必要になるのである。
*
翌日、私が先ず基本設計案のラフスケッチを描き上げ、チームに示した。
基本的な機体構成は、2回目の御前会議で示した私の設計案のままだったが、コクピット回りの容量を増加し、無線機や最低限の電子機器の他、計器表示モード切り替え等に当てるプロセッサーの搭載スペースを確保しておいた。
マキルのアイデアだったのだが、有視界戦闘中心での操作性が飛行制御の主体となるコクピットレイアウトで、FPD2枚と固定計器6台程度で総ての所要データ表示は、飛行モードを細かく切り替えて、その時々の飛行モードによって必要なデータのみ表示するように表示モードも自動で切り替えられるようになっていなければ、パイロットの負担がひどく大きくなってしまうと考えられたからだ。
主翼は6パーセント厚の層流翼型で、前縁後退角35度、前縁の60パーセント幅部分にドッグツースを付け、尾翼は前縁後退角45度の単垂直尾翼に中低翼配置の水平尾翼の配置とした。主翼からの吹き下ろしの影響を抑制するため、水平尾翼の前には前縁後退角65度のストレーキ・フィンを接続する。このドッグツースとストレーキの大きさは、飛行試験段階では最初は大きく作り、試験結果を検討しながら小さくしていく計画とした。
また、試作機の具体的空力形状決定の前に、どの様な細部変更でも、模型による風胴実験かCAEによるシミュレーションを経なければ、実機への適用はしない事を申し合わせた。
頭でっかちになっては絶対にいけないし、気負ってもいけない。
それが、事故無く開発を進めるための心得なのだ。
どのような機械も──特に人間の生死が関わる機械である乗り物は──開発は構想設計より完成型に至る経過そのものの計画(方針とか指針とか、世間で言っているものだ)の方が、無事故で開発計画が終了出来るか、最低限の安全性が確保出来るかを決めるのである。
私達は開発方針の決定に、実際、その後まる2日の期間を、議論のために使ったのだった。
最終的に決まった、メーカーとしての提案書の形態を取る構想設計書の内容は、次の様になった。
新戦闘機の機体サイズは、全長9.5メートル、全幅6.2メートル、全高2.8メートル。開発目標総質量は、最大離陸質量4.2トン、自質量2.5トン、標準武装の機内機関銃に700発の12.7ミリ弾を装填した状態で、索敵・迎撃作戦仕様で戦闘行動半径450キロを実現可能な燃料を積載した、基準総質量で3.6トンとした。
要するに、即席のコンパスである。
これを使って、3箇所の空軍基地から赤い同心円を描いた。300キロ、450キロ、600キロの半径を持つ3重円が3つ、という事である。
特に私は、450キロの円の赤線を、ことさらに太く描いた。この半径が、この国の国土のほぼ全部を3つ円で覆い、かつまた隣国との国境上空の3分の2をカバーする。領海の半分も、この円内だ。
作戦時、最大に進出出来る距離を、「戦闘行動半径」という概念で言い表すのだが、新戦闘機に必要な航続距離の、ひとつの指標である。標準作戦装備での、新戦闘機の最大搭載燃料で、どこまで基地から進出出来るのかを表す数値だ。
知らない読者もおられるだろうと思うので解説すると、軍用機という物は大概の作戦行動では、基本的に基地を出発したら同じ基地に、無着陸で帰投する。つまり作戦空域まで進出して作戦行動を行ない、出発した基地に帰るのである。
当然「標準的な作戦行動」というものは実戦では存在しないが、想定としては規定する事が出来る。幾つかの想定「標準的」パターンでの作戦行動で、軍用航空機が基地から進出出来る最大距離の事を「戦闘行動半径」と呼ぶのだ。
新戦闘機の場合、基地を離陸してから高度6000メートルを経済速度で巡航進出し、約15分間の索敵行動(経済速度のまま)の後、発見/追尾した目標を攻撃するために5分間のエンジン全開での機動飛行を行なった後、基地に帰らなければならない。基地上空での15分間の上空待機の分も、燃料搭載量に上乗せにするのが、各軍用航空機メーカーでの常識になっていた。
たった5分間だが、全開での5分間の燃料消費量は、経済速度で巡航する場合の3倍から5倍になる。なおかつ飛行速度は1.5倍程度にしかならない。
我々に課せられた新戦闘機の戦闘行動半径は、この時点ではあくまで私の私見だったが、450キロは最低必要であるという事だった訳である。当面の開発目標値というのは、正式な仕様書を受け取る前では、かなりの余裕を持った、考え得る最高の目標数値にしておくべきだと、私は考えていた。
私は設計室の全員に向かって宣言した。
みんな、新戦闘機の最大戦闘行動半径は、索敵ミッションで300カイリ(540キロ)を目標にし、最低250カイリ(450キロ)を絶対クリアラインとする。大雑把に見て、フェリー・ミッションでの最大航続距離にして700カイリ(約1300キロ)だ。
これは、400ノット(時速720キロ)以上の経済速力になると予想される新戦闘機の最大飛行時間は、2時間程度にはなるという事でもあるので、コクピットの人間工学的設計は、あまり窮屈であってはならないという事にもなる。コクピット設計担当は、そこのところを留意していてもらいたい。
巡航時の安定性についても同様だ。あまりじゃじゃ馬では駄目なのだと、考えてもらいたい。パイロットを不必要に疲れさせてはいけないのだ。
標準的ミッションで1ソーティの飛行時間は90分以上になる可能性があるのだから、その時間内を緊張しっ放しにさせるような乗り物では、それだけで帰投率に影響しかねない。
だが、機体の規模が単発セスナ程度のものでしかない計画は、変更しない。もうこの時点で、この新戦闘機の開発計画は、結構な無理難題になってきていたのである。それを、RATFにその時所属していた、6人の設計技術者と3人の生産管理技術者、12人の組立技能者でこなさねばならないのだった。
*
昼には、2日前に技手長から昇進したばかりの工務長が設計室にやって来た。
設計案が正式に承認された場合──その公算は高かったが──必要な先行手配の打ち合わせだった。
先ず、実験設備が足りなかった。
試作機の全体組立作業に必要な、大型定盤もRATFには無い。これも、なんとかしなければならない案件だった。
風胴の対応速度と容量が足りない。初めての全体開発なので、今までの小さな風胴では、適用する模型が小さすぎて、充分な近似値が得られないのだ。
胴体の予圧キャビン全体の技術検証に必要な、加圧試験機も無かった。
これは今回の新戦闘機開発プロジェクトだけに使われる物ではないので、RATFの設備投資として、別枠で予算計上し、国に予算要求しなければならないのだが、これもRATFで内部製作する場合も想定出来るので、設計見積りが必要になるのである。
*
翌日、私が先ず基本設計案のラフスケッチを描き上げ、チームに示した。
基本的な機体構成は、2回目の御前会議で示した私の設計案のままだったが、コクピット回りの容量を増加し、無線機や最低限の電子機器の他、計器表示モード切り替え等に当てるプロセッサーの搭載スペースを確保しておいた。
マキルのアイデアだったのだが、有視界戦闘中心での操作性が飛行制御の主体となるコクピットレイアウトで、FPD2枚と固定計器6台程度で総ての所要データ表示は、飛行モードを細かく切り替えて、その時々の飛行モードによって必要なデータのみ表示するように表示モードも自動で切り替えられるようになっていなければ、パイロットの負担がひどく大きくなってしまうと考えられたからだ。
主翼は6パーセント厚の層流翼型で、前縁後退角35度、前縁の60パーセント幅部分にドッグツースを付け、尾翼は前縁後退角45度の単垂直尾翼に中低翼配置の水平尾翼の配置とした。主翼からの吹き下ろしの影響を抑制するため、水平尾翼の前には前縁後退角65度のストレーキ・フィンを接続する。このドッグツースとストレーキの大きさは、飛行試験段階では最初は大きく作り、試験結果を検討しながら小さくしていく計画とした。
また、試作機の具体的空力形状決定の前に、どの様な細部変更でも、模型による風胴実験かCAEによるシミュレーションを経なければ、実機への適用はしない事を申し合わせた。
頭でっかちになっては絶対にいけないし、気負ってもいけない。
それが、事故無く開発を進めるための心得なのだ。
どのような機械も──特に人間の生死が関わる機械である乗り物は──開発は構想設計より完成型に至る経過そのものの計画(方針とか指針とか、世間で言っているものだ)の方が、無事故で開発計画が終了出来るか、最低限の安全性が確保出来るかを決めるのである。
私達は開発方針の決定に、実際、その後まる2日の期間を、議論のために使ったのだった。
最終的に決まった、メーカーとしての提案書の形態を取る構想設計書の内容は、次の様になった。
新戦闘機の機体サイズは、全長9.5メートル、全幅6.2メートル、全高2.8メートル。開発目標総質量は、最大離陸質量4.2トン、自質量2.5トン、標準武装の機内機関銃に700発の12.7ミリ弾を装填した状態で、索敵・迎撃作戦仕様で戦闘行動半径450キロを実現可能な燃料を積載した、基準総質量で3.6トンとした。
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軽戦闘機 ロア
壇那院
2014-01-23T02:09:43+09:00
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PHASE1-6 ファイナル・コンセプトデザイン
http://lightfighter.sapolog.com/e392586.html
なぜそうなったのか。
とにかく私としては帰宅して妻に話してやれる、確たる理由が必要だ。故国にいて自分の仕事に専念している、まだ若い息子は、これを誇りとしてくれるだろうが、やはり向こう5年はどうあっても帰国出来ないとなれば、妻にとっては大問題だ。
すでに所長は、自分のオフィスに戻って、政府に提出する人事報告書に、私の名前を書き込んで、署名してしまっている。
彼が本気なのは明らかなので、もう設計主務の件は飲まざるを得ない。
となれば、後はアランとマキルの動機だ。
特にアランだ。なぜ密約に反して、私を推したのか。
私はアランを設計棟の裏に呼び出した。
別段、周囲に不思議に思われることは無い。なにしろ設計室は禁煙で、私もアランも愛煙家なのだ。
アランも私が何を言い出すのかは、予想していただろう。だが、彼はさしたる緊張感も見せずに、私に言ったのだった。
リケル、頼むよ。この開発プロジェクトは義理堅い君にしか完遂出来ないだろう。
だがアラン、私の民族のことを言うなら、君の国の技術者の粘り強さだとて、世界的な定評があるじゃないか。だいたい、なぜマキルを推すという約束を守らなかったのだ。
アランの答は、意外なものだった。
リケル、すまない。私は、マキルに私達の計略を話してしまったのだ。
なんたることだ! それでは密約でもなんでもないではないか!
リケル、君は我が民族について一つ誤解している。我々は、君が考えている程、陰謀好きではない。あの噂は、我が故国のスパイ組織が優秀だというだけにすぎないし、私自身は嘘は嫌いだ。
読者諸君。ひとつ断っておきたい。アランに代表されるヨーロッパ人の「私は嘘を申しません」という台詞程、信用出来ない言葉は滅多に無い。私はこの時のアランの笑顔を見た時ほど、この真実を実感したことは無かったのだ。
アランは続けて言葉を継いだ。
だがリケル、私はマキルに、それを受け入れて開発主務を拝命するべきだ説得するために話したのだ。私や君に主務を譲れと言ったりはしていない。これは神と私の名誉にかけて本当だ。
しかし、君も知っているだろうアラン。マキルは義理堅く、若く、私達を尊敬してくれている。彼が予めこの話を聞いていれば、私達の目論見に反対するのは判り切っていた事ではないか。土壇場まで話さないでおくのは、理の当然だったはずだ。君がそれに気付かないはずは無いのだ。
判っていたよ。確かに私達の目論見は確実にこの国の航空技術の進歩を10年は後押ししたはずだと、今でも信じている。だが、それと同時に、私達は私達の弟子である彼等の信頼に応える義理があるはずだ。彼等は私達が、必ず高みに連れて行ってくれるものと信じてくれている。いよいよというこの時に、私達が一歩退くような振舞いをすれば、彼等は傷つき、裏切られたような気分になるだろう。
アラン、しかし……。
マキルは私同様、副主務として働かせる。うまく量産型設計まで持ち込めれば、その時こそマキルにすべてを譲り渡そう。私の思惑はそういう事だよ、リケル。
2人で4本の煙草が灰になっていた。云い方を代えると、それだけの時間で議論は終了していたのである。
私達は設計室に戻ったのだった。
それからは私も、もうあきらめた。その日に帰宅してからの妻とのやり取りがどうであったかは、ここでは述べないが、彼女がこの国の今の家に、そのまま残ってくれたとだけは、書いておいても今の彼女に恨まれないだろうと思う。
設計室に戻った私が、先ず主務者として最初にやった事は、三つのメインモジュールに分割して担当を決める事だった。担当を決めたら、各自担当モジュールに搭載する購入品で決まりきっている物の、選定を開始する。予備選定として購入候補品のリストを作るところからだ。
先ず、私は三つのメインモジュールを「胴体」「主翼」「尾翼を含む動翼」に分類した。私が「動翼」を取り、アランが胴体、マキルが主翼を担当することとし、それぞれに助手として若手技術者を1人ずつ配属することにする。ただし、助手の配属は開発の各段階で必要なセクションに割り振りし直すこととし、固定はしない。脚は、基本設計案を3人合議で決定してから、胴体担当のアランにするか、主翼担当のマキルにするか、追加決定する。
私が基本設計案を取り纏めている間は、アランには胴体搭載の電装関係の調査継続。マキルにはエンジン候補の最終選定リストの作成を頼んでおいた。基本構造を含めて簡単な3面図にまとめるのに、1日あればいいだろう。
それから、私は留守中にアランとマキルが進めていた構造案に目を通したのだった。
私が国務省に所長と行っている間に、アランとマキルが進めていた胴体構造の基本設計案は、マキルが留学中に大学で学んできた構成の一つを採用したものだった。
胴体後端のテールパイプの下半分が、蝶番によって開閉するようになっていたのである。BAEホークに採用された方式だ。テールパイプ内に作り込まれるエンジン・マウントは、総てのエンジン結合部が吊り下げ方式での構成になっている。
つまり、エンジンの着脱は、テールパイプの下側を開き、台車を下に入れ込んで、その上にエンジンを降ろせば良い。機体後方にエンジンを引き出す操作が、不要になり、整備性を高められ、整備時間の短縮だけではなく、整備要員の人数削減にもなる。
さらには、エンジンを降ろす判断基準を甘めに設定出来るようになり、B整備までの、機体装着状態での整備の内容を、簡略化出来るという寸法である。
他、コクピット仕様は基本的に私の案を採用することにしたが、オーソドックスなコクピットに簡単に戻せるよう、縦通材の交換だけで再構成出来るようにしてあった。実物大模型を使ったモックアップ審査は、空軍のパイロット達や空軍の高官連中、テストパイロットを呼んでやるつもりだったので、変更要求には容易に対応出来る設計にはしておきたい。どちらにしても、キャノピーは後方から見ると胴体上に突き出して見えるようにはして、パイロットの後方視界を良好なものにしておきたかったので、コクピットが収まる前部胴体の高さは、地上姿勢でやはり1.8メートル以下とするのがせいぜいとなった。キャノピー下端の高さは、踏み台程度を使えばパイロットが跨ぎ越えられたというアジートより、わずかだが高くなってしまうだろう。
電装関係の搭載スペースについては、コクピット後方、中央胴体の上部という以外、詳細は決めていなかった。これは空力シミュレータで、ある程度、空気取り入れダクトの胴体内形状が決まるまで、未決事項なのだ。空気取り入れ口(エアインテーク)の配置は、コクピット後方の両側に左右振り分けで配置するという、オーソドックスなものだった。
だが、これ以上は詳細設計になってしまう。いや、ここまででも、概念設計としては少し踏み込み過ぎなくらいなのだ。
私はアランに、胴体の基本構造にはもう手を付けず、マキル担当の主翼構造の基本設計の支援に回るように指示した。
翌日、私は設計室の壁に、この国の大きな地図を張り出した。
そして、ひもと赤ペンを取り出し、赤ペンで地図上の3箇所に印をつけた。
ひもを引き出し、端に小さな輪を作る。ひもの途中にも、等間隔でペンが入る輪を作る。地図の縮尺で、150キロ間隔で、3つ作った。最初の輪と2個目の輪の間隔だけは、300キロにしておいた。
3つの地図上の印は、空軍基地の位置である。
とにかく私としては帰宅して妻に話してやれる、確たる理由が必要だ。故国にいて自分の仕事に専念している、まだ若い息子は、これを誇りとしてくれるだろうが、やはり向こう5年はどうあっても帰国出来ないとなれば、妻にとっては大問題だ。
すでに所長は、自分のオフィスに戻って、政府に提出する人事報告書に、私の名前を書き込んで、署名してしまっている。
彼が本気なのは明らかなので、もう設計主務の件は飲まざるを得ない。
となれば、後はアランとマキルの動機だ。
特にアランだ。なぜ密約に反して、私を推したのか。
私はアランを設計棟の裏に呼び出した。
別段、周囲に不思議に思われることは無い。なにしろ設計室は禁煙で、私もアランも愛煙家なのだ。
アランも私が何を言い出すのかは、予想していただろう。だが、彼はさしたる緊張感も見せずに、私に言ったのだった。
リケル、頼むよ。この開発プロジェクトは義理堅い君にしか完遂出来ないだろう。
だがアラン、私の民族のことを言うなら、君の国の技術者の粘り強さだとて、世界的な定評があるじゃないか。だいたい、なぜマキルを推すという約束を守らなかったのだ。
アランの答は、意外なものだった。
リケル、すまない。私は、マキルに私達の計略を話してしまったのだ。
なんたることだ! それでは密約でもなんでもないではないか!
リケル、君は我が民族について一つ誤解している。我々は、君が考えている程、陰謀好きではない。あの噂は、我が故国のスパイ組織が優秀だというだけにすぎないし、私自身は嘘は嫌いだ。
読者諸君。ひとつ断っておきたい。アランに代表されるヨーロッパ人の「私は嘘を申しません」という台詞程、信用出来ない言葉は滅多に無い。私はこの時のアランの笑顔を見た時ほど、この真実を実感したことは無かったのだ。
アランは続けて言葉を継いだ。
だがリケル、私はマキルに、それを受け入れて開発主務を拝命するべきだ説得するために話したのだ。私や君に主務を譲れと言ったりはしていない。これは神と私の名誉にかけて本当だ。
しかし、君も知っているだろうアラン。マキルは義理堅く、若く、私達を尊敬してくれている。彼が予めこの話を聞いていれば、私達の目論見に反対するのは判り切っていた事ではないか。土壇場まで話さないでおくのは、理の当然だったはずだ。君がそれに気付かないはずは無いのだ。
判っていたよ。確かに私達の目論見は確実にこの国の航空技術の進歩を10年は後押ししたはずだと、今でも信じている。だが、それと同時に、私達は私達の弟子である彼等の信頼に応える義理があるはずだ。彼等は私達が、必ず高みに連れて行ってくれるものと信じてくれている。いよいよというこの時に、私達が一歩退くような振舞いをすれば、彼等は傷つき、裏切られたような気分になるだろう。
アラン、しかし……。
マキルは私同様、副主務として働かせる。うまく量産型設計まで持ち込めれば、その時こそマキルにすべてを譲り渡そう。私の思惑はそういう事だよ、リケル。
2人で4本の煙草が灰になっていた。云い方を代えると、それだけの時間で議論は終了していたのである。
私達は設計室に戻ったのだった。
それからは私も、もうあきらめた。その日に帰宅してからの妻とのやり取りがどうであったかは、ここでは述べないが、彼女がこの国の今の家に、そのまま残ってくれたとだけは、書いておいても今の彼女に恨まれないだろうと思う。
設計室に戻った私が、先ず主務者として最初にやった事は、三つのメインモジュールに分割して担当を決める事だった。担当を決めたら、各自担当モジュールに搭載する購入品で決まりきっている物の、選定を開始する。予備選定として購入候補品のリストを作るところからだ。
先ず、私は三つのメインモジュールを「胴体」「主翼」「尾翼を含む動翼」に分類した。私が「動翼」を取り、アランが胴体、マキルが主翼を担当することとし、それぞれに助手として若手技術者を1人ずつ配属することにする。ただし、助手の配属は開発の各段階で必要なセクションに割り振りし直すこととし、固定はしない。脚は、基本設計案を3人合議で決定してから、胴体担当のアランにするか、主翼担当のマキルにするか、追加決定する。
私が基本設計案を取り纏めている間は、アランには胴体搭載の電装関係の調査継続。マキルにはエンジン候補の最終選定リストの作成を頼んでおいた。基本構造を含めて簡単な3面図にまとめるのに、1日あればいいだろう。
それから、私は留守中にアランとマキルが進めていた構造案に目を通したのだった。
私が国務省に所長と行っている間に、アランとマキルが進めていた胴体構造の基本設計案は、マキルが留学中に大学で学んできた構成の一つを採用したものだった。
胴体後端のテールパイプの下半分が、蝶番によって開閉するようになっていたのである。BAEホークに採用された方式だ。テールパイプ内に作り込まれるエンジン・マウントは、総てのエンジン結合部が吊り下げ方式での構成になっている。
つまり、エンジンの着脱は、テールパイプの下側を開き、台車を下に入れ込んで、その上にエンジンを降ろせば良い。機体後方にエンジンを引き出す操作が、不要になり、整備性を高められ、整備時間の短縮だけではなく、整備要員の人数削減にもなる。
さらには、エンジンを降ろす判断基準を甘めに設定出来るようになり、B整備までの、機体装着状態での整備の内容を、簡略化出来るという寸法である。
他、コクピット仕様は基本的に私の案を採用することにしたが、オーソドックスなコクピットに簡単に戻せるよう、縦通材の交換だけで再構成出来るようにしてあった。実物大模型を使ったモックアップ審査は、空軍のパイロット達や空軍の高官連中、テストパイロットを呼んでやるつもりだったので、変更要求には容易に対応出来る設計にはしておきたい。どちらにしても、キャノピーは後方から見ると胴体上に突き出して見えるようにはして、パイロットの後方視界を良好なものにしておきたかったので、コクピットが収まる前部胴体の高さは、地上姿勢でやはり1.8メートル以下とするのがせいぜいとなった。キャノピー下端の高さは、踏み台程度を使えばパイロットが跨ぎ越えられたというアジートより、わずかだが高くなってしまうだろう。
電装関係の搭載スペースについては、コクピット後方、中央胴体の上部という以外、詳細は決めていなかった。これは空力シミュレータで、ある程度、空気取り入れダクトの胴体内形状が決まるまで、未決事項なのだ。空気取り入れ口(エアインテーク)の配置は、コクピット後方の両側に左右振り分けで配置するという、オーソドックスなものだった。
だが、これ以上は詳細設計になってしまう。いや、ここまででも、概念設計としては少し踏み込み過ぎなくらいなのだ。
私はアランに、胴体の基本構造にはもう手を付けず、マキル担当の主翼構造の基本設計の支援に回るように指示した。
翌日、私は設計室の壁に、この国の大きな地図を張り出した。
そして、ひもと赤ペンを取り出し、赤ペンで地図上の3箇所に印をつけた。
ひもを引き出し、端に小さな輪を作る。ひもの途中にも、等間隔でペンが入る輪を作る。地図の縮尺で、150キロ間隔で、3つ作った。最初の輪と2個目の輪の間隔だけは、300キロにしておいた。
3つの地図上の印は、空軍基地の位置である。]]>
軽戦闘機 ロア
壇那院
2013-04-25T01:44:11+09:00
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PHASE1-5 チーフ・デザイナ(設計主務)
http://lightfighter.sapolog.com/e169196.html
エンジンの選定数値条件には、次の様な考え方と意味があった。
仮想標的として御前会議で空軍側が指定したのは、夜間計器飛行中の、ターボプロップを含む中型軽飛行機又は小型輸送機、及び昼間有視界飛行中の単発を含む小型軽飛行機だった。具体的な型としてはターボプロップ単発軽輸送機のプラトゥス・ターボポーター、双発軽飛行機のパイパー・キングエアから、単発軽飛行機のセスナ152までの範囲の機体が相手という事になる。
速度は90ノット(時速167キロ)から200ノット(時速364キロ)で、3G旋回が可能な飛行機が相手ということになる。
ヴァイパーの他に、先ず候補になったのは、ジェネラル・エレクトリック社製のJ85だった。直径わずか550ミリのピュア・ジェットエンジンなのだが、最大推力は1700キロにもなるのだ。ただ、このエンジンはアメリカ製だ。アメリカ政府の輸出許可を取り付けるのは、かなりの困難が予想された。(日本政府からIHI・F3の輸出許可を取り付けるよりは簡単だろうが……)又、このエンジンは基本的にはアフター・バーナ付きの超音速機向けのエンジンで、アフター・バーナを持たないピュア・タイプの機種は、セスナA-37Bを最後に、搭載航空機が無い。メーカーのGE社が、再生産を引き受けるかどうかは、ちょっと怪しい状況だった。
無論、アフター・バーナ付きタイプは、今でも各国空軍のF-5向け補用エンジンが生産されているので、GE社の能力的には再生産は充分可能なはずである。もともとの搭載機であるF-5が途上国向け輸出機であり、比較的輸出審査が甘い機種なので、そのエンジンであるJ85も、政府の輸出許可については、他のアメリカ製品を軍用機用品として選定するよりは、期待出来る事は期待出来るのだ。
すでに全タイプのエンジンが補用生産もしていないのが判っているオーフュースより、はるかに入手可能性は高いという事だけは確実だった。
早速アメリカのGE本社に問い合わせなければならなかった。とにかく、エンジン選定に使える時間は、あと2日程度。絞り込んだエンジン機種が3機種だとして、3パターンのエンジン取り付けスペースを設定しなければならない。胴体の基本設計に余裕を持たせて、時間稼ぎをするにも、性能にあまり大きな格差があると、後で苦しくなる。
ヴァイパーの方は、無論OKだった。元々この国は、近代国家としてはフランスの植民地から独立して成立した国なので、ご多分に漏れず、イギリスの援助で独立した歴史的背景がある。又、先々代の国王が交渉上手の人だったそうで、フランス政府からの技術援助を40年前から引き出していたので、ラルザックの輸入も不可能ではあるまい。(ラルザックはSNECMA社単独開発ではなく、仏独共同開発なので、少し難しいかも知れないが……)
マキルとアランのネットワーク接続用PCは、この選定の、情報収集のために2日間、ほぼ起動しっ放しだった。
アランはイギリスと、マキルはアメリカとフランスのメーカーへの問い合わせメールとスカイプで、1日の半分が潰れてしまっていたのである。
3日目の昼に、3人に所長を交えてミーティングを持った。
私としては、エンジン評価用試作機を2機作ることとし、ヴァイパーとJ-85とすることにしたかった。
アメリカGE社からの返答で、まだピュア・タイプJ-85を、標的機用エンジンとして生産しているということだったのと、最新型のヴァイパーを提供出来るというロールスロイス社の返答があったからだ。
だが、所長の意見は全く次元の異なるものだった。
所長は、先ず国務省渉外部と商工部に問い合わせてみるべきだろうと言った。我が国がアメリカの大手企業と取引経験が浅い事を踏まえると、政府は付き合いの長いイギリス企業の製品であるヴァイパーが良いと云うかも知れない。これは、後々、部品や予備エンジンの調達、又、整備員の教育にも関わって来る問題だ。
確かに整備兵のエンジン教育はメーカーに頼まねばならない。全般的にヨーロッパ式の教育理念が浸透しているこの国で、エンジン整備兵だけがアメリカ式の技術教育を受けているというのも、バランスを欠くはなしかも知れない。
整備兵の教育レベルを初期調査したのは自分だった事を、その時になって思い出した私だった。
確かに、整備兵の教育をアメリカ式にした場合、教育体制の構築にも、今までのノウハウが全く生きない可能性がある。
私達は国務省商工部に連絡をとることにした。
翌日、くだんの商工部の担当者から面談したい旨の連絡があり、私と所長が出向くことになった。アランとマキルは、設計室に残って胴体の基本構成の検討を続けていた。
担当官の名はリベクといった。結果的にこの先、彼とは長い付き合いになった。フランス帰りの31才。出身部族の血筋で、黒い上にも黒い男だった。当時は、主任といった地位だったが、今では局長クラスである。そろそろ引退のはずなのだが、この国の役所は定年というものが無い。医者に引導を渡されるか、自分から引退を宣言しなければ、公務員は引退しないのだ。(大臣だけは最大任期が12年と憲法で決まっている。王政の国には必要なルールだろう)
さてそのリベク氏だが、とにかく社交的な男で、根っからの技術者である私や所長には、第一印象として「シンドい奴」という感想を持つような、言葉を駆使したコミニュケーションが苦手な私などには、苦手なタイプだったが、商工関連分野の外交官としては、かなり優秀そうだいう感覚もまた、感じさせてくれる相手だった。
そこでリベクは、開口一番、とんでもないことを言い出したのだ。
今のまま所長がプロジェクト・リーダー(開発主務)を兼務しているのは、今後は無理があると思いますよ?
何故なら、今後所長には、私(リベク)を通じて海外メーカーとの部品輸入交渉をやってもらう事になるでしょうから、内務としてのプロジェクト進行管理と設計審査業務を担当する余力は無いだろうと思うのです。
所長は大きく頷いた。
今、チーフ・デザイナ(設計主務)は任命されていますか?
所長の白髪頭は否定の意味に動いた。
リベクは考え込むような仕草を見せたが、どうもわざとらしい様に見えたのは、私の気のせいか?
いや、気のせいではなかった様だ。
所長は私に顔を向けると、こう言ったのである。
リケル、設計主務を担当してくれないか? 命令はしたくない。RATFは軍隊でもないし、民間企業でもないのだから、こういう事は個人が自主的に引き請けてもらいたいのだ。
私はかなり慌てて頭を振ったのだと思う。後で軽く首が痛かった。
所長、私はマキルに、形式だけでもやらせてやりたいと考えているのです。私もアランも、確かに小規模な開発設計経験がありますが、そんなものは吹けば飛ぶような代物で、自信なぞにも繋がらないし、当然、具体的なノウハウなぞも大して掴んではいないのです。そうとなれば、私達もマキルもスタートラインは同じです。ならば、若いマキルの方が適任でしょう。それに、マキルはこの国の人間ですが、私達は外国人です。いつかはこの国を離れて帰国する身です。そんな者が、貴重な戦闘機開発のノウハウを最大限会得してしまえる立場になるべきではありません。……実は、このことはこの計画が持ち上がった時から、アランと相談してあったことなのです。
ではアランに頼んでも、同じ答が返って来るということなのだね?
そう思って頂いて結構です。無論、アランなりの考えで、別の答が返って来る可能性も否定は出来ませんが。
イギリス英語とセーシェル訛りのフランス語のチャンポンで、こういう複雑なニュアンスを含んだ会話をするのは、結構疲れる。
所長の、歳の割に皺深い顔が、妙な具合にほころんだのは、絶対に私の気のせいではない。
リケル、いや、XX君(私の母国での名前だ)、君はこのプロジェクトが終わっても、すぐには帰国したりはしないよ。君の国の義理堅い国民性は、私も承知しているつもりだ。だから、私はアランではなく君を選んだ。
やはり、そういう事だったのか……。
所長が、リベクに会うために私を同道したのはつまり、既に私に目を付けてーーこの国では私の故国とは逆に「指を向ける」と云うーーいたという事だったのだ。いや、リベクも、所長とグルだったと考えた方が、良いのかも知れない……。
少し、考えさせて頂きたい、と私は言った。とにかく、アランと相談したかった。それに、帰国時期が確実に3年後以降になるがと、妻に相談する余裕も欲しい。
結局、その場を設定した表面上の目的である、アメリカ企業の製品を主要モジュールとして購入する構想は、リベクの判断では却下だった。
整備教育体制からして、やはり問題があるというのだ。
国務省は学校教育も管轄しているので、このあたりの判断も入り込んでいたと思う。
後で役所間の足の引っ張り合いを予想して、げんなりする必要が無いのが、小さなこの国の良いところだ。
設計主務の話は、RATFに戻ってから、再開することになった。アランと、マキルを交えて、だった。
だが結局、私は帰宅後、結果報告という形で妻に話すことになったのである。
アランもマキルも、私がチーフでOKだと、あっさり言ってしまったのであった。
仮想標的として御前会議で空軍側が指定したのは、夜間計器飛行中の、ターボプロップを含む中型軽飛行機又は小型輸送機、及び昼間有視界飛行中の単発を含む小型軽飛行機だった。具体的な型としてはターボプロップ単発軽輸送機のプラトゥス・ターボポーター、双発軽飛行機のパイパー・キングエアから、単発軽飛行機のセスナ152までの範囲の機体が相手という事になる。
速度は90ノット(時速167キロ)から200ノット(時速364キロ)で、3G旋回が可能な飛行機が相手ということになる。
ヴァイパーの他に、先ず候補になったのは、ジェネラル・エレクトリック社製のJ85だった。直径わずか550ミリのピュア・ジェットエンジンなのだが、最大推力は1700キロにもなるのだ。ただ、このエンジンはアメリカ製だ。アメリカ政府の輸出許可を取り付けるのは、かなりの困難が予想された。(日本政府からIHI・F3の輸出許可を取り付けるよりは簡単だろうが……)又、このエンジンは基本的にはアフター・バーナ付きの超音速機向けのエンジンで、アフター・バーナを持たないピュア・タイプの機種は、セスナA-37Bを最後に、搭載航空機が無い。メーカーのGE社が、再生産を引き受けるかどうかは、ちょっと怪しい状況だった。
無論、アフター・バーナ付きタイプは、今でも各国空軍のF-5向け補用エンジンが生産されているので、GE社の能力的には再生産は充分可能なはずである。もともとの搭載機であるF-5が途上国向け輸出機であり、比較的輸出審査が甘い機種なので、そのエンジンであるJ85も、政府の輸出許可については、他のアメリカ製品を軍用機用品として選定するよりは、期待出来る事は期待出来るのだ。
すでに全タイプのエンジンが補用生産もしていないのが判っているオーフュースより、はるかに入手可能性は高いという事だけは確実だった。
早速アメリカのGE本社に問い合わせなければならなかった。とにかく、エンジン選定に使える時間は、あと2日程度。絞り込んだエンジン機種が3機種だとして、3パターンのエンジン取り付けスペースを設定しなければならない。胴体の基本設計に余裕を持たせて、時間稼ぎをするにも、性能にあまり大きな格差があると、後で苦しくなる。
ヴァイパーの方は、無論OKだった。元々この国は、近代国家としてはフランスの植民地から独立して成立した国なので、ご多分に漏れず、イギリスの援助で独立した歴史的背景がある。又、先々代の国王が交渉上手の人だったそうで、フランス政府からの技術援助を40年前から引き出していたので、ラルザックの輸入も不可能ではあるまい。(ラルザックはSNECMA社単独開発ではなく、仏独共同開発なので、少し難しいかも知れないが……)
マキルとアランのネットワーク接続用PCは、この選定の、情報収集のために2日間、ほぼ起動しっ放しだった。
アランはイギリスと、マキルはアメリカとフランスのメーカーへの問い合わせメールとスカイプで、1日の半分が潰れてしまっていたのである。
3日目の昼に、3人に所長を交えてミーティングを持った。
私としては、エンジン評価用試作機を2機作ることとし、ヴァイパーとJ-85とすることにしたかった。
アメリカGE社からの返答で、まだピュア・タイプJ-85を、標的機用エンジンとして生産しているということだったのと、最新型のヴァイパーを提供出来るというロールスロイス社の返答があったからだ。
だが、所長の意見は全く次元の異なるものだった。
所長は、先ず国務省渉外部と商工部に問い合わせてみるべきだろうと言った。我が国がアメリカの大手企業と取引経験が浅い事を踏まえると、政府は付き合いの長いイギリス企業の製品であるヴァイパーが良いと云うかも知れない。これは、後々、部品や予備エンジンの調達、又、整備員の教育にも関わって来る問題だ。
確かに整備兵のエンジン教育はメーカーに頼まねばならない。全般的にヨーロッパ式の教育理念が浸透しているこの国で、エンジン整備兵だけがアメリカ式の技術教育を受けているというのも、バランスを欠くはなしかも知れない。
整備兵の教育レベルを初期調査したのは自分だった事を、その時になって思い出した私だった。
確かに、整備兵の教育をアメリカ式にした場合、教育体制の構築にも、今までのノウハウが全く生きない可能性がある。
私達は国務省商工部に連絡をとることにした。
翌日、くだんの商工部の担当者から面談したい旨の連絡があり、私と所長が出向くことになった。アランとマキルは、設計室に残って胴体の基本構成の検討を続けていた。
担当官の名はリベクといった。結果的にこの先、彼とは長い付き合いになった。フランス帰りの31才。出身部族の血筋で、黒い上にも黒い男だった。当時は、主任といった地位だったが、今では局長クラスである。そろそろ引退のはずなのだが、この国の役所は定年というものが無い。医者に引導を渡されるか、自分から引退を宣言しなければ、公務員は引退しないのだ。(大臣だけは最大任期が12年と憲法で決まっている。王政の国には必要なルールだろう)
さてそのリベク氏だが、とにかく社交的な男で、根っからの技術者である私や所長には、第一印象として「シンドい奴」という感想を持つような、言葉を駆使したコミニュケーションが苦手な私などには、苦手なタイプだったが、商工関連分野の外交官としては、かなり優秀そうだいう感覚もまた、感じさせてくれる相手だった。
そこでリベクは、開口一番、とんでもないことを言い出したのだ。
今のまま所長がプロジェクト・リーダー(開発主務)を兼務しているのは、今後は無理があると思いますよ?
何故なら、今後所長には、私(リベク)を通じて海外メーカーとの部品輸入交渉をやってもらう事になるでしょうから、内務としてのプロジェクト進行管理と設計審査業務を担当する余力は無いだろうと思うのです。
所長は大きく頷いた。
今、チーフ・デザイナ(設計主務)は任命されていますか?
所長の白髪頭は否定の意味に動いた。
リベクは考え込むような仕草を見せたが、どうもわざとらしい様に見えたのは、私の気のせいか?
いや、気のせいではなかった様だ。
所長は私に顔を向けると、こう言ったのである。
リケル、設計主務を担当してくれないか? 命令はしたくない。RATFは軍隊でもないし、民間企業でもないのだから、こういう事は個人が自主的に引き請けてもらいたいのだ。
私はかなり慌てて頭を振ったのだと思う。後で軽く首が痛かった。
所長、私はマキルに、形式だけでもやらせてやりたいと考えているのです。私もアランも、確かに小規模な開発設計経験がありますが、そんなものは吹けば飛ぶような代物で、自信なぞにも繋がらないし、当然、具体的なノウハウなぞも大して掴んではいないのです。そうとなれば、私達もマキルもスタートラインは同じです。ならば、若いマキルの方が適任でしょう。それに、マキルはこの国の人間ですが、私達は外国人です。いつかはこの国を離れて帰国する身です。そんな者が、貴重な戦闘機開発のノウハウを最大限会得してしまえる立場になるべきではありません。……実は、このことはこの計画が持ち上がった時から、アランと相談してあったことなのです。
ではアランに頼んでも、同じ答が返って来るということなのだね?
そう思って頂いて結構です。無論、アランなりの考えで、別の答が返って来る可能性も否定は出来ませんが。
イギリス英語とセーシェル訛りのフランス語のチャンポンで、こういう複雑なニュアンスを含んだ会話をするのは、結構疲れる。
所長の、歳の割に皺深い顔が、妙な具合にほころんだのは、絶対に私の気のせいではない。
リケル、いや、XX君(私の母国での名前だ)、君はこのプロジェクトが終わっても、すぐには帰国したりはしないよ。君の国の義理堅い国民性は、私も承知しているつもりだ。だから、私はアランではなく君を選んだ。
やはり、そういう事だったのか……。
所長が、リベクに会うために私を同道したのはつまり、既に私に目を付けてーーこの国では私の故国とは逆に「指を向ける」と云うーーいたという事だったのだ。いや、リベクも、所長とグルだったと考えた方が、良いのかも知れない……。
少し、考えさせて頂きたい、と私は言った。とにかく、アランと相談したかった。それに、帰国時期が確実に3年後以降になるがと、妻に相談する余裕も欲しい。
結局、その場を設定した表面上の目的である、アメリカ企業の製品を主要モジュールとして購入する構想は、リベクの判断では却下だった。
整備教育体制からして、やはり問題があるというのだ。
国務省は学校教育も管轄しているので、このあたりの判断も入り込んでいたと思う。
後で役所間の足の引っ張り合いを予想して、げんなりする必要が無いのが、小さなこの国の良いところだ。
設計主務の話は、RATFに戻ってから、再開することになった。アランと、マキルを交えて、だった。
だが結局、私は帰宅後、結果報告という形で妻に話すことになったのである。
アランもマキルも、私がチーフでOKだと、あっさり言ってしまったのであった。
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軽戦闘機 ロア
壇那院
2011-08-28T01:16:57+09:00
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PHASE1-4 セカンダリ・コンセプトデザイン
http://lightfighter.sapolog.com/e169195.html
空軍作戦部長が言い出した意見は、衝撃的だった。
空軍としては空中迎撃能力を持つ事は、亜音速領域に限定したものとはいえ、近い将来必要になると考えている。なぜなら、麻薬密輸業者が小型輸送機や軽飛行機による空中投下を目論んでいるという情報があるからだ。低空侵入して来る飛行機は、航空管制用地上レーダー・サイトでは追跡し切れないため、追跡と投下地点確認のための飛行機が最低限必要であり、理想を云えば、密輸航空機を撃墜する能力を有する戦闘用航空機が欲しい。
噂に聞くアメリカの密輸業者の手口だ。確かにこの国は豊かだが、そうまでして、この国に麻薬禍を持ち込みたがっている輩がいるという事実は、ショックだった。
作戦部長は続けた。空軍として欲しい戦闘機は、全天候とは云わぬが、夜間計器飛行中の目標を迎撃する能力を持ち、小型軽飛行機の運動性に追随可能な機動性と、中型双発機を撃墜可能な武装を持つ、軽戦闘機である。提案されている3案は、前方監視赤外線装置(FLIR)を装備する事で、総てその条件を満たしている様に思われるが、第1案は高性能にすぎる様だ。密輸業者達がジェット機を繰り出して来るとは考え難いので、超音速性能は必要無い。速度性能を少々犠牲にしてでも、機動性を追求して欲しい。
地上からの国境越えでの密輸を阻止する手段は、FLIR(前方監視赤外線装置)やSLR(側方監視レーダー)を装備した偵察攻撃機を、双発軽飛行機改造の物だが、空軍は保有している。低空侵入機を捕捉するための早期警戒機も、F-16やシーハリアーのレーダー・システムを中型双発機に搭載した物が、アメリカやイギリスで発表されているから、人員確保さえ目途がつけば、すぐ導入可能だ。当面は、現在保有しているCOIN機(局地戦用偵察攻撃機)とその早期警戒機で、密輸の阻止は可能であるという。しかし、こちらの対抗手段に対して、敵がさらに対抗して来る事は充分予想される。2、3年中には、先に述べた様な戦闘機が必要になるだろう。
国王がゆっくりと口を開かれた。では、空軍としては戦闘機の開発は歓迎するのか?
3人の軍人達は大きく頷いた。
首相も頷く。ただし、やはり超音速機は不要だと言った。又、長い航続性能は、狭い国土とは云え、国境地帯での長いパトロール飛行のためには、欲しい性能かも知れない。だが、周辺諸国との関係を考えると、侵攻能力と誤解されかねない性能を持つ事は、極力避けたい。その上で、超音速性能は、完全に不要である。
国王は表情を動かさなかった。技術開発計画ということでは、残念な方向なのだが、臣下の意見には素直に耳を傾けようという姿勢を、貫くつもりなのだ。
マキルは下を向いて唇をひき結んでいる。
そして、意を決した光る目を上げ、言った。
提案者としては非常に残念だが、私は我が国空軍が必要としてくれる飛行機を作りたい。
国王は大きく頷いた。
これで決まりだ。マキルの第1案は廃案となった。
結局、1時間半程で会議は散会した。結論として、アランの第2案と私の第3案は甲乙つけがたいとのことで、折衷案を最終開発案として提出する事になった。
期限は、またも10日後。これは、我々の人件費の間接的スポンサーである、大蔵大臣がつけた条件だった。あまり凝った事をしてもらいたくないというのが、彼の言い分なのである。特に、私の第3案が、コンセプトとしてはかなり斬新な発想を含んでいるので、開発費の高騰を呼び込みそうな要素をピックアップして報告してもらいたいと、注文をつけた。最終仕様決定会議で、それを検討したいというのだ。その報告書作成に、もう1日追加しても良い、というのが、彼が付けた緩和条件だった。
それでは11日後に、ということで、国王の承認を得て、私達はRATFに戻ったのである。
*
工房に戻ると、もうマキルは気分を完全に切り換えていた。
早速、ネット端末にかじりついて情報検索にかかっていたのである。
私やアランは、輸入が簡単で性能にも信頼性にも整備性にも実績があるロールスロイス・オーフュースを搭載エンジンとして想定していたのだが、彼はアメリカのジェネラル・エレクトリック製J-85のピュア・ジェット・タイプやロールスロイス・ヴァイパーの輸入が可能かも確認しておくべきだと言い出したのだ。なにしろ、オーフュースは使用実績が古いエンジンだ。このエンジンを搭載している機種は、どれもこれも生産終了して、20年以上経っている。今では入手困難になっている可能性もあるのである。
マキルが選定基準としたのは、やはりオーフュースの1400kgfの最大推力だった。それに、オーフュースよりエンジン取り付け寸法が小さいこと。私の第3案は、胴体の基本計画寸法がオーフュースを基準に決められているので、あまり大きな変動は望ましくないのだ。特に大きくなる方向は、胴体の空力抵抗を増加させ、パイロットの視界を狭める等、影響は大きい。
又、同じロールスロイス製で開発年次でもオーフュースとどっこいどっこいの古い基本設計のエンジンだが、ヴァイパーの方が、まだ搭載機種が各国で運用されているので、オーフュースより入手性が良いかも知れない、とも言う。事実、ヴァイパー搭載の高等練習機/軽攻撃機のエアルマッキMB326/339は、80年代の製品だが、あの時点でも7箇国で現用中の機体だ。英国政府の輸出許可さえとりつければ、容易に輸入可能である。
又、マキルは、搭載機器類の選定の内、機体重量と胴体寸法に大きな影響を与える、射出座席の購入機種選定も先に行なっておくべきだろうと言った。コクピットの空間設計と、コクピット周辺の胴体設計に大きく影響するのだから、確かに必要だ。射出空間の確保も必要だが、必要以上に大きく取って機体を大きくしたくない。また、射出座席の100キロ以下の質量も、馬鹿に出来ない。
それほど今度の開発機は小型なのである。アランの原案も私の原案も、自重2500キログラム以下、最大離陸質量4000キログラム以下の、ナット/アジートと同程度の大きさの戦闘機なのだ。
この日の勤務時間の最後の3時間、折衷案の基本設計方針を検討したが、11日後に提出する2次設計案は、これが最終案になるつもりで、10日間をフルに使って、エンジン選定と、それに合わせた胴体設計からやり直す事にした。とにかく小型化にこだわろうという事に、全員の意見が一致したのだ。空軍作戦部長が言った「小型軽飛行機を追尾可能な機動性」を実現するには、徹底的な小型軽量化が必要だということだ。
設定条件は操縦室(コクピット)部での胴体幅を940ミリ以下にまとめる事とした。
コクピット内部のレイアウトの素案もまだなので、かなり余裕を持たせた数値設定にしておく必要があるのだが、さりとて1メートル以上もあるアメリカ製大型戦闘機は参考にならない。それに、940ミリで、マーチン・ベイカー社製射出座席のMk4やMk10が余裕で入る。Mk4は<アジート>に適用されているし、Mk10は、やはりコクピット部が小さくまとめられた超音速戦闘機である<ミラージュ>や<グリペン>に採用されている。
それに、胴体外形数値として、人間工学的に参考になるデータがあったのである。
参考にしたのは、旧日本陸軍戦闘機<飛燕>だ。この戦闘機も極力胴体を細く設計されていたが、設計目標値は840ミリだったというのだ。現代のジェット戦闘機のコクピット内では、サイドコンソールの容量が大戦中のレシプロ戦闘機とは比較にならないし、840ミリというのが、当時の日本人パイロットの体格から割り出されたものなので、現代の当地のパイロットの平均的体格での肩幅から割り出すより、小さかった可能性は高いだろうが、それでも30ミリ程度の差であろうと考えられたから、840に100ミリプラスしただけで、充分可能な数値だと考えたのだ。
確かに、ゆったり乗っていられるコクピット空間ではあるまい。が、計画機は、あくまで1飛行(ソーティ)を1時間程度の飛行時間と想定される局地戦闘機なのだ。訓練と馴れで、充分許容範囲内だと考えていた。
又、エンジンの選定でも、軽量大推力よりも、スロットル・レスポンスの素早さを重視するべきだろうと考えた。ジェットエンジン――と云うより、噴進式ガスタービン・エンジンでは、これは軸数が少ない方が良いことを、おおかた意味する。無論、燃料供給装置の能力も関係するが、基本的に空気取り入れ口(エア・インレット)が固定で、レシプロ・エンジンの様に可変式ではないガスタービンでは、回転の上下はそれ程素早くはないのだが、高圧用と低圧用に、圧縮機の軸が分離しているエンジンでは、エネルギー効率はこの方が良いのだが、スロットルの開閉に対する反応が特に鈍いのだ。そのため、戦闘機用のジェットエンジンでは、ピュア・ジェットでもターボファンでも、1軸式のエンジンが多いのである。
だが、その戦闘機用エンジンで、今時1500キロ級の推力のエンジンなど、練習機用として今でも使われている古い物を除けば、ほとんど無いのだ。相手国の国策で輸入が不可能な、IHI製のF3を除けば、70年代に開発されたフランスのラルザックが、最も新しい基本設計のエンジンなのではないか。
3人共、ヴァイパーでほとんど決まりだろうと考えながら、それでも一からエンジン選定作業をやる気になっていた。
サイズはやはり、オーフュースを基準にして、最大直径770ミリ以下、全長2200ミリ以下、乾燥質量400キロ以下の、最大推力1500キログラム以上出せるエンジンをピックアップすることにしたのである。
空軍としては空中迎撃能力を持つ事は、亜音速領域に限定したものとはいえ、近い将来必要になると考えている。なぜなら、麻薬密輸業者が小型輸送機や軽飛行機による空中投下を目論んでいるという情報があるからだ。低空侵入して来る飛行機は、航空管制用地上レーダー・サイトでは追跡し切れないため、追跡と投下地点確認のための飛行機が最低限必要であり、理想を云えば、密輸航空機を撃墜する能力を有する戦闘用航空機が欲しい。
噂に聞くアメリカの密輸業者の手口だ。確かにこの国は豊かだが、そうまでして、この国に麻薬禍を持ち込みたがっている輩がいるという事実は、ショックだった。
作戦部長は続けた。空軍として欲しい戦闘機は、全天候とは云わぬが、夜間計器飛行中の目標を迎撃する能力を持ち、小型軽飛行機の運動性に追随可能な機動性と、中型双発機を撃墜可能な武装を持つ、軽戦闘機である。提案されている3案は、前方監視赤外線装置(FLIR)を装備する事で、総てその条件を満たしている様に思われるが、第1案は高性能にすぎる様だ。密輸業者達がジェット機を繰り出して来るとは考え難いので、超音速性能は必要無い。速度性能を少々犠牲にしてでも、機動性を追求して欲しい。
地上からの国境越えでの密輸を阻止する手段は、FLIR(前方監視赤外線装置)やSLR(側方監視レーダー)を装備した偵察攻撃機を、双発軽飛行機改造の物だが、空軍は保有している。低空侵入機を捕捉するための早期警戒機も、F-16やシーハリアーのレーダー・システムを中型双発機に搭載した物が、アメリカやイギリスで発表されているから、人員確保さえ目途がつけば、すぐ導入可能だ。当面は、現在保有しているCOIN機(局地戦用偵察攻撃機)とその早期警戒機で、密輸の阻止は可能であるという。しかし、こちらの対抗手段に対して、敵がさらに対抗して来る事は充分予想される。2、3年中には、先に述べた様な戦闘機が必要になるだろう。
国王がゆっくりと口を開かれた。では、空軍としては戦闘機の開発は歓迎するのか?
3人の軍人達は大きく頷いた。
首相も頷く。ただし、やはり超音速機は不要だと言った。又、長い航続性能は、狭い国土とは云え、国境地帯での長いパトロール飛行のためには、欲しい性能かも知れない。だが、周辺諸国との関係を考えると、侵攻能力と誤解されかねない性能を持つ事は、極力避けたい。その上で、超音速性能は、完全に不要である。
国王は表情を動かさなかった。技術開発計画ということでは、残念な方向なのだが、臣下の意見には素直に耳を傾けようという姿勢を、貫くつもりなのだ。
マキルは下を向いて唇をひき結んでいる。
そして、意を決した光る目を上げ、言った。
提案者としては非常に残念だが、私は我が国空軍が必要としてくれる飛行機を作りたい。
国王は大きく頷いた。
これで決まりだ。マキルの第1案は廃案となった。
結局、1時間半程で会議は散会した。結論として、アランの第2案と私の第3案は甲乙つけがたいとのことで、折衷案を最終開発案として提出する事になった。
期限は、またも10日後。これは、我々の人件費の間接的スポンサーである、大蔵大臣がつけた条件だった。あまり凝った事をしてもらいたくないというのが、彼の言い分なのである。特に、私の第3案が、コンセプトとしてはかなり斬新な発想を含んでいるので、開発費の高騰を呼び込みそうな要素をピックアップして報告してもらいたいと、注文をつけた。最終仕様決定会議で、それを検討したいというのだ。その報告書作成に、もう1日追加しても良い、というのが、彼が付けた緩和条件だった。
それでは11日後に、ということで、国王の承認を得て、私達はRATFに戻ったのである。
*
工房に戻ると、もうマキルは気分を完全に切り換えていた。
早速、ネット端末にかじりついて情報検索にかかっていたのである。
私やアランは、輸入が簡単で性能にも信頼性にも整備性にも実績があるロールスロイス・オーフュースを搭載エンジンとして想定していたのだが、彼はアメリカのジェネラル・エレクトリック製J-85のピュア・ジェット・タイプやロールスロイス・ヴァイパーの輸入が可能かも確認しておくべきだと言い出したのだ。なにしろ、オーフュースは使用実績が古いエンジンだ。このエンジンを搭載している機種は、どれもこれも生産終了して、20年以上経っている。今では入手困難になっている可能性もあるのである。
マキルが選定基準としたのは、やはりオーフュースの1400kgfの最大推力だった。それに、オーフュースよりエンジン取り付け寸法が小さいこと。私の第3案は、胴体の基本計画寸法がオーフュースを基準に決められているので、あまり大きな変動は望ましくないのだ。特に大きくなる方向は、胴体の空力抵抗を増加させ、パイロットの視界を狭める等、影響は大きい。
又、同じロールスロイス製で開発年次でもオーフュースとどっこいどっこいの古い基本設計のエンジンだが、ヴァイパーの方が、まだ搭載機種が各国で運用されているので、オーフュースより入手性が良いかも知れない、とも言う。事実、ヴァイパー搭載の高等練習機/軽攻撃機のエアルマッキMB326/339は、80年代の製品だが、あの時点でも7箇国で現用中の機体だ。英国政府の輸出許可さえとりつければ、容易に輸入可能である。
又、マキルは、搭載機器類の選定の内、機体重量と胴体寸法に大きな影響を与える、射出座席の購入機種選定も先に行なっておくべきだろうと言った。コクピットの空間設計と、コクピット周辺の胴体設計に大きく影響するのだから、確かに必要だ。射出空間の確保も必要だが、必要以上に大きく取って機体を大きくしたくない。また、射出座席の100キロ以下の質量も、馬鹿に出来ない。
それほど今度の開発機は小型なのである。アランの原案も私の原案も、自重2500キログラム以下、最大離陸質量4000キログラム以下の、ナット/アジートと同程度の大きさの戦闘機なのだ。
この日の勤務時間の最後の3時間、折衷案の基本設計方針を検討したが、11日後に提出する2次設計案は、これが最終案になるつもりで、10日間をフルに使って、エンジン選定と、それに合わせた胴体設計からやり直す事にした。とにかく小型化にこだわろうという事に、全員の意見が一致したのだ。空軍作戦部長が言った「小型軽飛行機を追尾可能な機動性」を実現するには、徹底的な小型軽量化が必要だということだ。
設定条件は操縦室(コクピット)部での胴体幅を940ミリ以下にまとめる事とした。
コクピット内部のレイアウトの素案もまだなので、かなり余裕を持たせた数値設定にしておく必要があるのだが、さりとて1メートル以上もあるアメリカ製大型戦闘機は参考にならない。それに、940ミリで、マーチン・ベイカー社製射出座席のMk4やMk10が余裕で入る。Mk4は<アジート>に適用されているし、Mk10は、やはりコクピット部が小さくまとめられた超音速戦闘機である<ミラージュ>や<グリペン>に採用されている。
それに、胴体外形数値として、人間工学的に参考になるデータがあったのである。
参考にしたのは、旧日本陸軍戦闘機<飛燕>だ。この戦闘機も極力胴体を細く設計されていたが、設計目標値は840ミリだったというのだ。現代のジェット戦闘機のコクピット内では、サイドコンソールの容量が大戦中のレシプロ戦闘機とは比較にならないし、840ミリというのが、当時の日本人パイロットの体格から割り出されたものなので、現代の当地のパイロットの平均的体格での肩幅から割り出すより、小さかった可能性は高いだろうが、それでも30ミリ程度の差であろうと考えられたから、840に100ミリプラスしただけで、充分可能な数値だと考えたのだ。
確かに、ゆったり乗っていられるコクピット空間ではあるまい。が、計画機は、あくまで1飛行(ソーティ)を1時間程度の飛行時間と想定される局地戦闘機なのだ。訓練と馴れで、充分許容範囲内だと考えていた。
又、エンジンの選定でも、軽量大推力よりも、スロットル・レスポンスの素早さを重視するべきだろうと考えた。ジェットエンジン――と云うより、噴進式ガスタービン・エンジンでは、これは軸数が少ない方が良いことを、おおかた意味する。無論、燃料供給装置の能力も関係するが、基本的に空気取り入れ口(エア・インレット)が固定で、レシプロ・エンジンの様に可変式ではないガスタービンでは、回転の上下はそれ程素早くはないのだが、高圧用と低圧用に、圧縮機の軸が分離しているエンジンでは、エネルギー効率はこの方が良いのだが、スロットルの開閉に対する反応が特に鈍いのだ。そのため、戦闘機用のジェットエンジンでは、ピュア・ジェットでもターボファンでも、1軸式のエンジンが多いのである。
だが、その戦闘機用エンジンで、今時1500キロ級の推力のエンジンなど、練習機用として今でも使われている古い物を除けば、ほとんど無いのだ。相手国の国策で輸入が不可能な、IHI製のF3を除けば、70年代に開発されたフランスのラルザックが、最も新しい基本設計のエンジンなのではないか。
3人共、ヴァイパーでほとんど決まりだろうと考えながら、それでも一からエンジン選定作業をやる気になっていた。
サイズはやはり、オーフュースを基準にして、最大直径770ミリ以下、全長2200ミリ以下、乾燥質量400キロ以下の、最大推力1500キログラム以上出せるエンジンをピックアップすることにしたのである。
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軽戦闘機 ロア
壇那院
2011-02-12T18:30:25+09:00
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PHASE1-3 プライマリ・コンセプトデザイン
http://lightfighter.sapolog.com/e169194.html
さて、マキルが設計室や自宅の資料をひっくり返し、あちこち世界中のめぼしい空軍の広報室に国際電話やインターネットで問い合わせまくった経過のレポートは、私達3人の中で最も厚かった。
東南アジアやアフリカ、それに西アジア諸国の空軍に、用廃となったり耐空性はまだあるが退役した戦闘機が、かなりの数になっているし、技術研究用としてオーバーホールせずに買うのなら、1機2万から5万米ドルで売ってくれる先も幾つかあった、というのである。
買える機種は、戦闘訓練に使えるBAeホーク高等練習機、MiG-21、MiG-23/27の初期型、Su-17の初期型、Su-25、A-37B軽攻撃機、F-5A、A-4軽攻撃機、A-7攻撃機、それに、アジートやクフィルなど、我々同様の第三世界の戦闘機もあった。
マキルはその中で、整備が簡単で高い稼働率に定評があったA-4スカイホークとA-7コルセアⅡ、F-5A、クフィルに、丸印を付けていた。クフィルは二重丸、F-5Aは特に三重丸だ。
若い彼は、超音速戦闘機をやりたかったのだ。F-5Aはクリーン状態でならマッハ1.4を絞り出せる。クフィルに至ってはマッハ2だ。
私は首を振った。
まだ早い。
手初めは、やはり亜音速機が良い。ここには誰も、戦闘機の全体設計に携わった経験者などいないのだ。いくら技術開発とは云え、まともに飛ばせる自信が持てない飛行機を、作りたくはない。
アランも私に賛成した。
F-5Aの代りに、私はアジートに二重丸を付けた。70年代のインドの航空機製作技術で、イギリス製ナットの改造とは云え開発出来た機体であり、カースト制度がまだ色濃く残るあの時代のインドで、中等教育すら受けていなかったかも知れぬ整備員達が、立派に飛び、戦えるように整備出来た機体だ。研究用としてはうってつけで、飛行不能の用廃機でも、手に入るなら望外な事だ。
私はマキルに、超音速機は次にしよう、と言った。
10年後になるかも知れないが、次の開発計画が持ち上がった時には、F-5Aと云わず、F-16でもF/A-18でも、それこそMiG-29でも、1機買って研究しよう。その頃には君がここのボスであり、指導技術者になっているはずだ。君はまだ25才ではないか。
それでも、マキルは不満そうだった。
せっかくの大チャンスなのだ。出来るだけ高性能で基本設計が新しい機体で勉強したい。アジートは確かに70年代機だが、母体のナットは50年代の飛行機ではないか。基本構造は40年代から50年代の設計概念で作られている……。
マキルの言い分は判るが。だが、学ぶべき何が重要なのかは、やはり判っていない様だ。値段が同じだからと云って、超音速機のスクラップを買って来ても、最も学びたい技術が、そこに見付けられないかも知れないのだ。
私は、言ったものだ。
マキル、最重要課題は、この国の空軍の力で、何回でも自信を持って飛ばせる戦闘機を作る事だ。ただ技術を学ぶだけではない。今の我々に活用出来る技術を学ぶ事が大事なのだ。我々は工学者ではなく技術者だ。理想だけで飯を喰わせてもらっている訳ではない。産業的観点での成果を上げねばならない立場なのだ。アジートが古い基本設計なのも、私にすれば結構な事なのだ。現代技術の基礎となった古い技術を知る事は、このRATFの将来にとって、決して無駄ではないはずだ。君が大学で何を学んだにしろ、これだけは胆(きも)に銘じて忘れないでくれ……。
資料の山を抱え込むと、私は宣言した。
さあ、これから第2段階に入るぞ。3人それぞれで概念設計案をこれからの3日間で練り、御前会議に提出する3案にしようじゃないか……。
ミーティングが解散して、私達3人は、すぐ作業にかかった。開発可能と思われる戦闘機の仕様とデザイン案をまとめるため、深夜まで調べ物や、打ち合わせに明け暮れたのである。図面作成のためにCAD(コンピュータ支援設計システム)に向かっていた時間など、せいぜい10時間程度だろう。この段階での図面というのは、企画書のイメージ図の一歩前進しただけの物にすぎない。設計者の考え方を視覚化するためだけの物、とも云える物だ。
最終的には、私達3人は、各々が一つの基本設計案を3日間ででっち上げる事に成功した。それぞれ3ページの薄いレポートで、デザインスケッチ、性能上の特徴、技術上の特徴、予想される開発上の困難と、予想開発期間が明記されていた。
マキルの案が最も高性能を狙ったもので、F-20に似た外観の単発機だった。F-20より小さく、アフター・バーナー無しのアドーア・エンジン搭載。MiG-21の物かF-8のレーダーを搭載し、赤外線追尾式の空対空ミサイルを2発搭載する。機銃は20ミリを2門。緩降下で音速をわずかに超えられそうだ。
アランの案はアジート/ナットに似ていた。肩翼の単発で、やはりアフター・バーナー無しのオーフュース・エンジン。ナットやアジートに適用されて実績のある純ジェットエンジンだ。ひどく小さく、軽いが、赤外線追尾ミサイルか、小型ロケット弾ポッドを搭載する。固定武装として20ミリ機銃を1門。レーダーは照準用の小型で、スカイホークに載っていた物と同型か、クフィルに載っていた物を使う。
私の案は基本形はアランの案と同じだった。アジート/ナットとほぼ同じ大きさで、エンジンも同じオーフュース。他にアドーア、PWC(プラット&ホイットニー・カナダ)のJT15D、PW500シリーズなど、離昇推力1600~2000キログラム程度の低バイパス比ファン・エンジンとしていた。だが、有視界戦闘のみで戦う事が前提で、思い切ってコクピットの透明部分を大型化したので、まるで小型ヘリコプターの様な前半部に、アジートより細い胴体がつながっていた。固定武装は12.7ミリ機銃2、又は7.62ミリ機銃4挺。翼下の兵装ポイントは4箇所としておいた。COIN機としても運用出来る戦闘機としておきたかったので、外部兵装を多様化しておきたかったのである。搭載レーダーは照準用の小型だが、前方監視赤外線(FLIR)ヘッドを搭載する事も可能とした。対地/対人攻撃時に威力を発揮するセンサー・システムで、国境警備用COIN機が対麻薬密輸作戦で重宝しており、ドイツ製のシステムを吊下ポッドの形にまとめて軽飛行機の主翼下に取り付けたのは私達だ。高加速度(高G)機動性を向上するため、フラップは単純スプリット形で、高機動時にも使用可能な物にした。
3案に共通して、フライ・バイ・ワイヤ(電子制御操縦)方式は採用せず、CCV(非安定化高機動性空力概念)設計は用いない事が全員一致していた。今の私達の能力では、手に負えない技術なのだ。
自動空戦フラップについては、前大戦中の日本戦闘機<紫電改>で開発・搭載された物を参考にすれば、パテントの心配もせずに、技術的にも問題無く製作可能と判断し、マキルの案にも採用していた。
主翼は、マキルの案では6パーセント厚の翼断面形で、内側と翼端で断面形状が違う、遷移翼形とし、前縁後退角は20度。
アランの案は9パーセント厚で、対称翼断面の遷音速翼形。前縁後退角は35度。
私の案はただの12パーセント厚の層流翼で、内側も翼端も同じ断面形の単純後退翼。1.5度の捩り下げが付けてあるだけである。前縁後退角は30度。
この3案を前日にはまとめ上げ、所長に提出しておいたのである。私としては所長に、どれか1案に絞り込んで御前会議に提出して欲しかったのだが、彼は多少のコメントを付けただけで、そのまま3案とも持って行く事にすると云う。
所長に言わせると、一晩では考えをまとめ切れない、ということだった。技術開発計画という性格上、実用性を重視するか、技術的な発展性、我が国としての先進性を重視するかは、我々工房側で判断する事ではない、とも言う。つまり「手堅さか、挑戦か」である。
そして、私達3人も御前会議に同行する事になった。
*
国王は本当に10日で回答が得られたので、喜んでいた。万事がのんびりしたこの国では、1日や2日の遅れは、当たり前だからだ。だが、もっと几帳面で、しかも一応は王制の国から来た私とアランは、国王陛下の勅命に対してのんびり構える事など出来ない。
御前会議には私達4人と国王の他、首相、空軍総司令官、同じく技術部長、作戦部長、文官の統合軍指令室長、国軍財務課長、大蔵大臣、内務大臣がいた。前回の会議より人数が増えている。
会議の開始を国王が宣言した瞬間、前回はいなかった大蔵大臣が、最初に口を開いた。
彼は何百万ドルもする戦闘機を導入する必要も、ましてや自力開発して何千万ドルもの開発費を浪費する必要も、全く認めていなかったのである。声の大きな大臣閣下は、国王をたぶらかしたのは誰だと言わんばかりに、所長をにらんでいた。
彼は今度の計画で、私達がF-15かSu-31でも作るつもりなのだとでも思っているらしい。私達は笑い出しそうなのを、国王の御前という事で、必死にこらえなければならなかったが、文官で航空技術の知識が無く、しかも国の財政を担う彼の責任感と知識からは、当然の心配だったはずだ。彼の長広舌を聞かされながら、この10日間、大臣は大臣で、大変な量の情報を収集し、分析し、勉強して来たのだと悟った。彼は軍用機開発の、経済面での俄かエキスパートになっていたのだ。
大臣の長広舌が終った。締め括り方も技術者の仕様説明の時の様に、はっきりしていた。
プロだ、と思った。
国王は所長をご覧になっている。所長は経費関係での私のレポートを読んでいたが、彼はしたり顔で私に頷き、私が回答する破目になった。
私はペンを弄びながら話し始めた。行儀が悪いことおびただしいが、どうしてもやってしまうのだ。
ぬすみ見ると、国王は微笑しておられる。
私は肩の力を抜いた。
先ず私は、新戦闘機の基本設計案には3案用意した事から、説明を開始した。そして、そのどの案が採用されても全体設計までの第2次開発経費は25万ドルを超えないだろうと断言しておいた。参考研究用の中古戦闘機の購入と当地までの輸送費で、8万ドルを上積みした上で、と付け加えた。延べマン・アワーで1万5000人・時を越える事は無いはずだ、とも言った。実際、最も機体が大きいマキルの案でも、私は1万人・時で全体設計を終えられると考えていた。製作費、試作機で1機当り30万ドルから60万ドル。3機試作したとして90万から180万ドル。その間の第3次開発経費は、修正設計費や試作機の飛行試験費用も含めて180万から300万ドルと見積もっており、500万ドルを超える事は無いだろう、と言った。
基本設計案をまとめ、絞り込む第1次開発経費は1万ドルで充分なので、最大でも526万ドルで、量産――部隊配備用――1号機の製作を開始するかどうかの、決定段階に到達出来るだろう。開発期間は、第2次開発段階(フェーズ2)完了までで1年、第3次開発段階(フェーズ3)で1年。合計2年。工房は通常の業務があるので、小型の軽戦闘機ではあるが、期間は延びる可能性が高く、予定は立て難いと説明した。
首相が質問された。その戦闘機は輸出可能な程の商品的魅力を持ち得るだろうか?
所長が答えた。工房には対外営業活動の機能が無いので、その場合は代理店を頼んで売り込む事になる。それは我々としては考慮する立場ではない。頼んだ代理店に判断してもらった方が的確であろう。
国王が発言された。それを含めて、3つの設計案を検討するために、今この会議があるのだ。自分は我が国が、自力で主力軍用機を開発可能な力をを持つ事を望んだ。これを空軍に配備するか、輸出商品として見做すか、それは自分としてはどうでもよろしいのである。それは君達がこの場で決めてもらいたい。
陛下は私達に顔を向けられた。君主としての威厳に満ちている。
輸出用として、魅力ある製品に仕上げる自信はあるか?
所長が答える。軍用航空機、ひいては兵器にとっての“魅力”とは、今の時代、単に強力なだけではなく、“客”である相手国が仮想敵としてどのような対象を考えているのか、どのような使い方を考えているのか、戦略と用兵思想によって千差万別であり、その“客”の経済力によっても費用対効果の評価基準は差がある。が、それらを一般化した“世界基準”の様なものはあり、それに照らして、競争力がある製品にする自信が持てるのは、第1案以外の2案である。
では、第1案はなぜ提出されたのか? 空軍総司令官が訊いた。
我が国の技術力向上を第一義とした場合の、技術的・産業的挑戦というテーマとして、である。第1案が我が国産業にとっては最も重い負荷を負う設計案である。
皆、重々しく頷いたが、次の発言者が、爆弾を落とした。
東南アジアやアフリカ、それに西アジア諸国の空軍に、用廃となったり耐空性はまだあるが退役した戦闘機が、かなりの数になっているし、技術研究用としてオーバーホールせずに買うのなら、1機2万から5万米ドルで売ってくれる先も幾つかあった、というのである。
買える機種は、戦闘訓練に使えるBAeホーク高等練習機、MiG-21、MiG-23/27の初期型、Su-17の初期型、Su-25、A-37B軽攻撃機、F-5A、A-4軽攻撃機、A-7攻撃機、それに、アジートやクフィルなど、我々同様の第三世界の戦闘機もあった。
マキルはその中で、整備が簡単で高い稼働率に定評があったA-4スカイホークとA-7コルセアⅡ、F-5A、クフィルに、丸印を付けていた。クフィルは二重丸、F-5Aは特に三重丸だ。
若い彼は、超音速戦闘機をやりたかったのだ。F-5Aはクリーン状態でならマッハ1.4を絞り出せる。クフィルに至ってはマッハ2だ。
私は首を振った。
まだ早い。
手初めは、やはり亜音速機が良い。ここには誰も、戦闘機の全体設計に携わった経験者などいないのだ。いくら技術開発とは云え、まともに飛ばせる自信が持てない飛行機を、作りたくはない。
アランも私に賛成した。
F-5Aの代りに、私はアジートに二重丸を付けた。70年代のインドの航空機製作技術で、イギリス製ナットの改造とは云え開発出来た機体であり、カースト制度がまだ色濃く残るあの時代のインドで、中等教育すら受けていなかったかも知れぬ整備員達が、立派に飛び、戦えるように整備出来た機体だ。研究用としてはうってつけで、飛行不能の用廃機でも、手に入るなら望外な事だ。
私はマキルに、超音速機は次にしよう、と言った。
10年後になるかも知れないが、次の開発計画が持ち上がった時には、F-5Aと云わず、F-16でもF/A-18でも、それこそMiG-29でも、1機買って研究しよう。その頃には君がここのボスであり、指導技術者になっているはずだ。君はまだ25才ではないか。
それでも、マキルは不満そうだった。
せっかくの大チャンスなのだ。出来るだけ高性能で基本設計が新しい機体で勉強したい。アジートは確かに70年代機だが、母体のナットは50年代の飛行機ではないか。基本構造は40年代から50年代の設計概念で作られている……。
マキルの言い分は判るが。だが、学ぶべき何が重要なのかは、やはり判っていない様だ。値段が同じだからと云って、超音速機のスクラップを買って来ても、最も学びたい技術が、そこに見付けられないかも知れないのだ。
私は、言ったものだ。
マキル、最重要課題は、この国の空軍の力で、何回でも自信を持って飛ばせる戦闘機を作る事だ。ただ技術を学ぶだけではない。今の我々に活用出来る技術を学ぶ事が大事なのだ。我々は工学者ではなく技術者だ。理想だけで飯を喰わせてもらっている訳ではない。産業的観点での成果を上げねばならない立場なのだ。アジートが古い基本設計なのも、私にすれば結構な事なのだ。現代技術の基礎となった古い技術を知る事は、このRATFの将来にとって、決して無駄ではないはずだ。君が大学で何を学んだにしろ、これだけは胆(きも)に銘じて忘れないでくれ……。
資料の山を抱え込むと、私は宣言した。
さあ、これから第2段階に入るぞ。3人それぞれで概念設計案をこれからの3日間で練り、御前会議に提出する3案にしようじゃないか……。
ミーティングが解散して、私達3人は、すぐ作業にかかった。開発可能と思われる戦闘機の仕様とデザイン案をまとめるため、深夜まで調べ物や、打ち合わせに明け暮れたのである。図面作成のためにCAD(コンピュータ支援設計システム)に向かっていた時間など、せいぜい10時間程度だろう。この段階での図面というのは、企画書のイメージ図の一歩前進しただけの物にすぎない。設計者の考え方を視覚化するためだけの物、とも云える物だ。
最終的には、私達3人は、各々が一つの基本設計案を3日間ででっち上げる事に成功した。それぞれ3ページの薄いレポートで、デザインスケッチ、性能上の特徴、技術上の特徴、予想される開発上の困難と、予想開発期間が明記されていた。
マキルの案が最も高性能を狙ったもので、F-20に似た外観の単発機だった。F-20より小さく、アフター・バーナー無しのアドーア・エンジン搭載。MiG-21の物かF-8のレーダーを搭載し、赤外線追尾式の空対空ミサイルを2発搭載する。機銃は20ミリを2門。緩降下で音速をわずかに超えられそうだ。
アランの案はアジート/ナットに似ていた。肩翼の単発で、やはりアフター・バーナー無しのオーフュース・エンジン。ナットやアジートに適用されて実績のある純ジェットエンジンだ。ひどく小さく、軽いが、赤外線追尾ミサイルか、小型ロケット弾ポッドを搭載する。固定武装として20ミリ機銃を1門。レーダーは照準用の小型で、スカイホークに載っていた物と同型か、クフィルに載っていた物を使う。
私の案は基本形はアランの案と同じだった。アジート/ナットとほぼ同じ大きさで、エンジンも同じオーフュース。他にアドーア、PWC(プラット&ホイットニー・カナダ)のJT15D、PW500シリーズなど、離昇推力1600~2000キログラム程度の低バイパス比ファン・エンジンとしていた。だが、有視界戦闘のみで戦う事が前提で、思い切ってコクピットの透明部分を大型化したので、まるで小型ヘリコプターの様な前半部に、アジートより細い胴体がつながっていた。固定武装は12.7ミリ機銃2、又は7.62ミリ機銃4挺。翼下の兵装ポイントは4箇所としておいた。COIN機としても運用出来る戦闘機としておきたかったので、外部兵装を多様化しておきたかったのである。搭載レーダーは照準用の小型だが、前方監視赤外線(FLIR)ヘッドを搭載する事も可能とした。対地/対人攻撃時に威力を発揮するセンサー・システムで、国境警備用COIN機が対麻薬密輸作戦で重宝しており、ドイツ製のシステムを吊下ポッドの形にまとめて軽飛行機の主翼下に取り付けたのは私達だ。高加速度(高G)機動性を向上するため、フラップは単純スプリット形で、高機動時にも使用可能な物にした。
3案に共通して、フライ・バイ・ワイヤ(電子制御操縦)方式は採用せず、CCV(非安定化高機動性空力概念)設計は用いない事が全員一致していた。今の私達の能力では、手に負えない技術なのだ。
自動空戦フラップについては、前大戦中の日本戦闘機<紫電改>で開発・搭載された物を参考にすれば、パテントの心配もせずに、技術的にも問題無く製作可能と判断し、マキルの案にも採用していた。
主翼は、マキルの案では6パーセント厚の翼断面形で、内側と翼端で断面形状が違う、遷移翼形とし、前縁後退角は20度。
アランの案は9パーセント厚で、対称翼断面の遷音速翼形。前縁後退角は35度。
私の案はただの12パーセント厚の層流翼で、内側も翼端も同じ断面形の単純後退翼。1.5度の捩り下げが付けてあるだけである。前縁後退角は30度。
この3案を前日にはまとめ上げ、所長に提出しておいたのである。私としては所長に、どれか1案に絞り込んで御前会議に提出して欲しかったのだが、彼は多少のコメントを付けただけで、そのまま3案とも持って行く事にすると云う。
所長に言わせると、一晩では考えをまとめ切れない、ということだった。技術開発計画という性格上、実用性を重視するか、技術的な発展性、我が国としての先進性を重視するかは、我々工房側で判断する事ではない、とも言う。つまり「手堅さか、挑戦か」である。
そして、私達3人も御前会議に同行する事になった。
*
国王は本当に10日で回答が得られたので、喜んでいた。万事がのんびりしたこの国では、1日や2日の遅れは、当たり前だからだ。だが、もっと几帳面で、しかも一応は王制の国から来た私とアランは、国王陛下の勅命に対してのんびり構える事など出来ない。
御前会議には私達4人と国王の他、首相、空軍総司令官、同じく技術部長、作戦部長、文官の統合軍指令室長、国軍財務課長、大蔵大臣、内務大臣がいた。前回の会議より人数が増えている。
会議の開始を国王が宣言した瞬間、前回はいなかった大蔵大臣が、最初に口を開いた。
彼は何百万ドルもする戦闘機を導入する必要も、ましてや自力開発して何千万ドルもの開発費を浪費する必要も、全く認めていなかったのである。声の大きな大臣閣下は、国王をたぶらかしたのは誰だと言わんばかりに、所長をにらんでいた。
彼は今度の計画で、私達がF-15かSu-31でも作るつもりなのだとでも思っているらしい。私達は笑い出しそうなのを、国王の御前という事で、必死にこらえなければならなかったが、文官で航空技術の知識が無く、しかも国の財政を担う彼の責任感と知識からは、当然の心配だったはずだ。彼の長広舌を聞かされながら、この10日間、大臣は大臣で、大変な量の情報を収集し、分析し、勉強して来たのだと悟った。彼は軍用機開発の、経済面での俄かエキスパートになっていたのだ。
大臣の長広舌が終った。締め括り方も技術者の仕様説明の時の様に、はっきりしていた。
プロだ、と思った。
国王は所長をご覧になっている。所長は経費関係での私のレポートを読んでいたが、彼はしたり顔で私に頷き、私が回答する破目になった。
私はペンを弄びながら話し始めた。行儀が悪いことおびただしいが、どうしてもやってしまうのだ。
ぬすみ見ると、国王は微笑しておられる。
私は肩の力を抜いた。
先ず私は、新戦闘機の基本設計案には3案用意した事から、説明を開始した。そして、そのどの案が採用されても全体設計までの第2次開発経費は25万ドルを超えないだろうと断言しておいた。参考研究用の中古戦闘機の購入と当地までの輸送費で、8万ドルを上積みした上で、と付け加えた。延べマン・アワーで1万5000人・時を越える事は無いはずだ、とも言った。実際、最も機体が大きいマキルの案でも、私は1万人・時で全体設計を終えられると考えていた。製作費、試作機で1機当り30万ドルから60万ドル。3機試作したとして90万から180万ドル。その間の第3次開発経費は、修正設計費や試作機の飛行試験費用も含めて180万から300万ドルと見積もっており、500万ドルを超える事は無いだろう、と言った。
基本設計案をまとめ、絞り込む第1次開発経費は1万ドルで充分なので、最大でも526万ドルで、量産――部隊配備用――1号機の製作を開始するかどうかの、決定段階に到達出来るだろう。開発期間は、第2次開発段階(フェーズ2)完了までで1年、第3次開発段階(フェーズ3)で1年。合計2年。工房は通常の業務があるので、小型の軽戦闘機ではあるが、期間は延びる可能性が高く、予定は立て難いと説明した。
首相が質問された。その戦闘機は輸出可能な程の商品的魅力を持ち得るだろうか?
所長が答えた。工房には対外営業活動の機能が無いので、その場合は代理店を頼んで売り込む事になる。それは我々としては考慮する立場ではない。頼んだ代理店に判断してもらった方が的確であろう。
国王が発言された。それを含めて、3つの設計案を検討するために、今この会議があるのだ。自分は我が国が、自力で主力軍用機を開発可能な力をを持つ事を望んだ。これを空軍に配備するか、輸出商品として見做すか、それは自分としてはどうでもよろしいのである。それは君達がこの場で決めてもらいたい。
陛下は私達に顔を向けられた。君主としての威厳に満ちている。
輸出用として、魅力ある製品に仕上げる自信はあるか?
所長が答える。軍用航空機、ひいては兵器にとっての“魅力”とは、今の時代、単に強力なだけではなく、“客”である相手国が仮想敵としてどのような対象を考えているのか、どのような使い方を考えているのか、戦略と用兵思想によって千差万別であり、その“客”の経済力によっても費用対効果の評価基準は差がある。が、それらを一般化した“世界基準”の様なものはあり、それに照らして、競争力がある製品にする自信が持てるのは、第1案以外の2案である。
では、第1案はなぜ提出されたのか? 空軍総司令官が訊いた。
我が国の技術力向上を第一義とした場合の、技術的・産業的挑戦というテーマとして、である。第1案が我が国産業にとっては最も重い負荷を負う設計案である。
皆、重々しく頷いたが、次の発言者が、爆弾を落とした。]]>
軽戦闘機 ロア
壇那院
2010-12-01T22:21:00+09:00
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PHASE 1-2 リサーチ(調査)
http://lightfighter.sapolog.com/e169193.html
この段階で、私とアランは、ある密約を交わしていた。
それは、現地人設計スタッフでは最年長で経験も最も長い、マキルを出来るだけ開発主務に推そう、というものだった。
考えてもみて欲しい。このプロジェクトは技術開発計画でもあるのだ。既存技術だけで開発出来る、所謂「製品開発」ではない。
外国人である私やアランが開発の主導権を取ってしまったのでは、計画から生み出される諸々の技術と発想とノウハウは、この国の技術者達に根付かないかも知れない。私達の個人的ノウハウなどには、断じてさせてはならないのである。私もアランも、それまでの2年余り、軽飛行機の機体に小口径機関銃や小型爆弾を取り付けるラックやパイロンを設計する程度の仕事で、望外の高給をこの国の国家予算から貰って来ているのだ。私の妻も、この国での田舎暮らしにすっかり馴染み、今の立場と収入では高いとは云えぬ旅費を使って、故国に里帰りするのを勿体無いと言うようにさえなった。
この借りを、ここで返さなければ、そのチャンスはもう無いだろう。
私もアランも、馬鹿だったのかも知れない。だが、30年経った今でも、後悔はしていないのである。
ちょうど雨期が始まる前の暑い日が続いたのを、今でもよく憶えている。7日間、私は車や工房の業務用機(エンジンだけは新品の、30年も飛んでいる古いセスナ152だった)を飛ばして、国内に3つある空軍基地を、訪問して回った。首都から最も近い、最大の基地には、空軍の業務本部や技術本部があり、整備兵達の教育や選抜を担当している士官とも会えるし、整備兵訓練所もあるのだ。教育担当士官と話し、訓練所を視察させてもらう。現場視察の時には、技手長と一緒に、整備兵達の仕事振りを観察した。彼等と手当たり次第に話もした。
彼等は実直で、正直な男達だった。大部分が空への憧れから空軍を志願した若者で、学歴は平均すると、この国ではかなり高い方になる。識字率が60パーセントのこの国で、ほぼ全員が中学校を卒業しているのだ。富裕な農家の次・三男や、都市部の中流家庭の出身者が大半だった。英語の読み書きの基礎が出来る事が、空軍で整備兵になれる最低条件だからである。彼等の相手の機器類は、大抵、英語で取扱説明書(マニュアル)が書かれているからだ。
しかし、戦闘機部隊を1個中隊(スコードロン)12機程度でも新規に導入するとなると、何人の整備兵がこの国の教育水準と整備兵学校の能力で充当出来るだろう? それに、既にいる整備兵達も、ジェット戦闘機を整備可能なレヴェルまで、再教育するには、どれだけの期間と予算が必要だろうか?
ガスタービン・エンジン搭載のヘリコプターや国王専用のビジネス・ジェットを整備している、他より1ランク上の整備兵達のグループはまだしも、軽飛行機改造機を担当している連中には、さらに1年間以上の一般・専門取り混ぜた教育が必要な様に思われた。
私はこの戦闘機の開発方針に、こう、付け加えようと決心したのである。
新戦闘機は10人程度の整備兵チームによって整備が可能な物であるべきだ、と。現在の空軍の人員規模の拡大には、かなり低い限界を見積もらなければならないだろう。開発にゴーサインが出れば、必要な部隊数と機数が空軍当局で見積もられ、メーカーとしてのRATFに提示されるだろうが、それの実現性確保のためには、1機当たりの所要運用員数を(パイロットも含めて)少なくし、1スコードロンの隊員定数を小さいものにしておかなければならない。
7日目に、私達3人は設計室で顔を合わせた。3人共、自分が集めた資料の束を打ち合せ用のテーブルに、3部置くと、一斉にしゃべり始めて、そして一斉に沈黙した。
何かのコメディ映画でも見ている様で、思わず私は笑い出してしまった。
アランも腹を抱えて椅子から転げ落ちそうだ。遂にはマキルも、周囲で見ていた他の技術者達も、大笑いし始める。その爆笑の渦がおさまるまで、2分や3分はかかったと思う。
緊張は、どこかへ行ってしまった。
呼吸を整えて、最年長の私から資料の説明を始めた。
整備員の質や空軍の教育システムの問題点、この国全体の教育水準から考えて、新戦闘機の整備性・信頼性はかなり高い水準でなければならない。A整備で3人乃至4人、C整備でも10人程度の整備員でまかなう必要があるだろう。それ以上の整備員を必要とする場合、5年以内に3個スコードロンを編成し、36機以上を運用出来るだけの人数の整備員を採用・教育している能力的キャパシティが、今の空軍には無いと考えられるのだ。
1つのスコードロンが全機出撃するなどというのは、10年に1度あるかどうかの事態だろうが、軍隊というのは元々、そういう滅多に無い事態に対処するための組織だ。部隊は、編制上は全力出撃を前提にして組織されるのだから、最低でもA整備を全機同時に行なえるだけの人数が、部隊の整備兵定員になる。所要人数が1機当り3人なら、12機で36人、4人なら48人だ。陸軍の歩兵部隊なら1個小隊である。指揮官は士官1人、軍曹クラス6人程度で済む。これが仮に6人だとすると、72人、2個小隊又は1個歩兵中隊になる。指揮官だけで士官クラス3人、軍曹クラス12人を要する。空軍の志願兵役期間は最低3年だ。スコードロンの整備小隊の編成の中で、職業軍人が7人で済ませられるか、副官クラスも含めて25人以上を要するかが、この戦闘機の整備性にかかっている。
無論、空軍当局に新戦闘機を実戦配備する気が本当にあるのなら、だが、私達(開発担当であるRATF)としては、その前提で開発計画をまとめた方が得策だろう、というのが、私の結論だった。
アランもその辺を考えて装備品の候補をリストアップしていた。無線機やレーダー等の電装品は評価の定まったドイツ製やスエーデン製、アメリカ製が多い。日本製もあったが兵器の輸出制限をしている国なので、駄目だろう。エンジンも、カタログ上の性能は他の先進国製より劣るが、整備性・信頼性で優れるロシア製小型エンジンが多かった。少数、古い基本型のアメリカ製とイギリス製がリストアップされている。途上国向け輸出用戦闘機等に搭載されているエンジンだ。装備品や部品の内、ライセンス生産や国産でまかなえそうな物は、品目点数にして50パーセント程度だった。国内で最も大きな鉄工所なら、機体の外板や小さめの桁(けた)等の構造部材は製作可能だろうと云う。
アランは言ったものだ。
全幅8メートル程度までなら、主翼主桁(メインスパン)も製作可能だろう。ただし、調べた限りでは、半分手作りで、年産5組といったところだ。それも、検査用の測定機を新しく買うか作るかしなけりゃならんだろう。
それが無いと、製作用や組立用の冶具も作れないだろうと言うのだ。安く見積っても2万ドル、たぶん7万ドルを、設備投資費として先払いしなければならないはずだそうだ。
つまり、それだけの予算を、我々工房側としては、この開発計画の経費に上乗せして国から引き出さねばならない事になる。
そこで、私は一つの欲張りな不安にかられた。
それまで考えてもいなかったのだが、開発予算の見積りを、3日後の謁見報告までに、たとえ予備見積りでも、示す事が出来るだろうか? 技術的な可能性ばかりに心を奪われて、そんな事を考えてもいなかった。
国側も、そうなのではないか? 予算配分の内訳を、調査して把握している人は、いるのだろうか?
だが私は、話に聞くアメリカの軍用機開発の、フェーズ分割契約形態を真似た見積りの仕方なら、なんとかなるかも知れぬ、と考えた。基本設計の提出と承認までを、<フェーズ1>とし、そこまでの見積りなら、3日間で出来るのでは、と思ったのだ。
それは、現地人設計スタッフでは最年長で経験も最も長い、マキルを出来るだけ開発主務に推そう、というものだった。
考えてもみて欲しい。このプロジェクトは技術開発計画でもあるのだ。既存技術だけで開発出来る、所謂「製品開発」ではない。
外国人である私やアランが開発の主導権を取ってしまったのでは、計画から生み出される諸々の技術と発想とノウハウは、この国の技術者達に根付かないかも知れない。私達の個人的ノウハウなどには、断じてさせてはならないのである。私もアランも、それまでの2年余り、軽飛行機の機体に小口径機関銃や小型爆弾を取り付けるラックやパイロンを設計する程度の仕事で、望外の高給をこの国の国家予算から貰って来ているのだ。私の妻も、この国での田舎暮らしにすっかり馴染み、今の立場と収入では高いとは云えぬ旅費を使って、故国に里帰りするのを勿体無いと言うようにさえなった。
この借りを、ここで返さなければ、そのチャンスはもう無いだろう。
私もアランも、馬鹿だったのかも知れない。だが、30年経った今でも、後悔はしていないのである。
ちょうど雨期が始まる前の暑い日が続いたのを、今でもよく憶えている。7日間、私は車や工房の業務用機(エンジンだけは新品の、30年も飛んでいる古いセスナ152だった)を飛ばして、国内に3つある空軍基地を、訪問して回った。首都から最も近い、最大の基地には、空軍の業務本部や技術本部があり、整備兵達の教育や選抜を担当している士官とも会えるし、整備兵訓練所もあるのだ。教育担当士官と話し、訓練所を視察させてもらう。現場視察の時には、技手長と一緒に、整備兵達の仕事振りを観察した。彼等と手当たり次第に話もした。
彼等は実直で、正直な男達だった。大部分が空への憧れから空軍を志願した若者で、学歴は平均すると、この国ではかなり高い方になる。識字率が60パーセントのこの国で、ほぼ全員が中学校を卒業しているのだ。富裕な農家の次・三男や、都市部の中流家庭の出身者が大半だった。英語の読み書きの基礎が出来る事が、空軍で整備兵になれる最低条件だからである。彼等の相手の機器類は、大抵、英語で取扱説明書(マニュアル)が書かれているからだ。
しかし、戦闘機部隊を1個中隊(スコードロン)12機程度でも新規に導入するとなると、何人の整備兵がこの国の教育水準と整備兵学校の能力で充当出来るだろう? それに、既にいる整備兵達も、ジェット戦闘機を整備可能なレヴェルまで、再教育するには、どれだけの期間と予算が必要だろうか?
ガスタービン・エンジン搭載のヘリコプターや国王専用のビジネス・ジェットを整備している、他より1ランク上の整備兵達のグループはまだしも、軽飛行機改造機を担当している連中には、さらに1年間以上の一般・専門取り混ぜた教育が必要な様に思われた。
私はこの戦闘機の開発方針に、こう、付け加えようと決心したのである。
新戦闘機は10人程度の整備兵チームによって整備が可能な物であるべきだ、と。現在の空軍の人員規模の拡大には、かなり低い限界を見積もらなければならないだろう。開発にゴーサインが出れば、必要な部隊数と機数が空軍当局で見積もられ、メーカーとしてのRATFに提示されるだろうが、それの実現性確保のためには、1機当たりの所要運用員数を(パイロットも含めて)少なくし、1スコードロンの隊員定数を小さいものにしておかなければならない。
7日目に、私達3人は設計室で顔を合わせた。3人共、自分が集めた資料の束を打ち合せ用のテーブルに、3部置くと、一斉にしゃべり始めて、そして一斉に沈黙した。
何かのコメディ映画でも見ている様で、思わず私は笑い出してしまった。
アランも腹を抱えて椅子から転げ落ちそうだ。遂にはマキルも、周囲で見ていた他の技術者達も、大笑いし始める。その爆笑の渦がおさまるまで、2分や3分はかかったと思う。
緊張は、どこかへ行ってしまった。
呼吸を整えて、最年長の私から資料の説明を始めた。
整備員の質や空軍の教育システムの問題点、この国全体の教育水準から考えて、新戦闘機の整備性・信頼性はかなり高い水準でなければならない。A整備で3人乃至4人、C整備でも10人程度の整備員でまかなう必要があるだろう。それ以上の整備員を必要とする場合、5年以内に3個スコードロンを編成し、36機以上を運用出来るだけの人数の整備員を採用・教育している能力的キャパシティが、今の空軍には無いと考えられるのだ。
1つのスコードロンが全機出撃するなどというのは、10年に1度あるかどうかの事態だろうが、軍隊というのは元々、そういう滅多に無い事態に対処するための組織だ。部隊は、編制上は全力出撃を前提にして組織されるのだから、最低でもA整備を全機同時に行なえるだけの人数が、部隊の整備兵定員になる。所要人数が1機当り3人なら、12機で36人、4人なら48人だ。陸軍の歩兵部隊なら1個小隊である。指揮官は士官1人、軍曹クラス6人程度で済む。これが仮に6人だとすると、72人、2個小隊又は1個歩兵中隊になる。指揮官だけで士官クラス3人、軍曹クラス12人を要する。空軍の志願兵役期間は最低3年だ。スコードロンの整備小隊の編成の中で、職業軍人が7人で済ませられるか、副官クラスも含めて25人以上を要するかが、この戦闘機の整備性にかかっている。
無論、空軍当局に新戦闘機を実戦配備する気が本当にあるのなら、だが、私達(開発担当であるRATF)としては、その前提で開発計画をまとめた方が得策だろう、というのが、私の結論だった。
アランもその辺を考えて装備品の候補をリストアップしていた。無線機やレーダー等の電装品は評価の定まったドイツ製やスエーデン製、アメリカ製が多い。日本製もあったが兵器の輸出制限をしている国なので、駄目だろう。エンジンも、カタログ上の性能は他の先進国製より劣るが、整備性・信頼性で優れるロシア製小型エンジンが多かった。少数、古い基本型のアメリカ製とイギリス製がリストアップされている。途上国向け輸出用戦闘機等に搭載されているエンジンだ。装備品や部品の内、ライセンス生産や国産でまかなえそうな物は、品目点数にして50パーセント程度だった。国内で最も大きな鉄工所なら、機体の外板や小さめの桁(けた)等の構造部材は製作可能だろうと云う。
アランは言ったものだ。
全幅8メートル程度までなら、主翼主桁(メインスパン)も製作可能だろう。ただし、調べた限りでは、半分手作りで、年産5組といったところだ。それも、検査用の測定機を新しく買うか作るかしなけりゃならんだろう。
それが無いと、製作用や組立用の冶具も作れないだろうと言うのだ。安く見積っても2万ドル、たぶん7万ドルを、設備投資費として先払いしなければならないはずだそうだ。
つまり、それだけの予算を、我々工房側としては、この開発計画の経費に上乗せして国から引き出さねばならない事になる。
そこで、私は一つの欲張りな不安にかられた。
それまで考えてもいなかったのだが、開発予算の見積りを、3日後の謁見報告までに、たとえ予備見積りでも、示す事が出来るだろうか? 技術的な可能性ばかりに心を奪われて、そんな事を考えてもいなかった。
国側も、そうなのではないか? 予算配分の内訳を、調査して把握している人は、いるのだろうか?
だが私は、話に聞くアメリカの軍用機開発の、フェーズ分割契約形態を真似た見積りの仕方なら、なんとかなるかも知れぬ、と考えた。基本設計の提出と承認までを、<フェーズ1>とし、そこまでの見積りなら、3日間で出来るのでは、と思ったのだ。
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軽戦闘機 ロア
壇那院
2010-09-17T20:48:13+09:00
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PHASE 1-1 プロジェクト・オーダー(開発指令)
http://lightfighter.sapolog.com/e169192.html
ロア――正式には、戦術戦闘機F01ロアと、この国の空軍当局に名付けられている航空機について語る前に、私が何者であるか、皆さんに自己紹介しておくべきだと思う。
私はリケル・ナウエ。本名ではないが、この国ではこれで通している。本名の意味をこの国の言葉に意訳したもので、私のこの国での最初の雇い主が、名付け親だ。
当時はロアのメーカーである王立航空技術工房(RATF)の技術者で、ロアの基本設計から携わった開発主務者だった。引退してもこの国に残ってしまった今は、中学校の子供達に基礎的な技術を教える小さな塾を、恩給を受けながら細々とやっている老いぼれエンジニアである。
私がこの国にやって来たのは30年も以前になる。その時もう40才にもなり、技術者としてはすでに、実戦力としておぼつかないとされる年代になっていた私は、故国で会社を辞職する破目に追い込まれ、まだ工業技術的には未熟だったこの国に、ひょんなきっかけから職を求めてやって来た。幸い、設立されたばかりのRATFに拾ってもらい、2年が過ぎた頃、国王の発案で開始されたのが、国産戦闘機開発計画だったのである。
私が開発主務者に選ばれた理由が何だったのか、所長ははっきりした答を私に与えてくれた事は、今に至るも無い。
ただ、技術者の中で最も年嵩であったというだけだったのだと、今では私が一人合点に考えているだけである。
何はともあれ、突然天から降って来たかのごとき大仕事が、たった1本の電話の呼び出しから始まったというのは、いかにもこの国とあの国王ならではだ。私と所長、それに製作現場の長である技手長は、取る物も取り敢えずに、呼ばれるままに王宮に急いだのだった。
雨期が始まる直前の、暑い日だったのを憶えている。
王宮のセキュリティというのは、基本的に人間の記憶が頼りの、ごく原始的で簡単なものなので、すでに国防省関係で出入りの実績がある私達は、顔パスである。
会議室に通されると、すでに国王はじめお偉方が待っていた。
私は国王をいただく国の生まれ育ちなので、これだけでもう恐縮至極である。
この国の作法などすっかり忘れてしまって、出身国の作法で最敬礼してしまっていた。
国王は記録上では私より2才若いのだが、第一印象は逆に少し年長に見える。この陽気でエネルギッシュな国においても、国民の誰よりも光り輝いて見える方だ。
直接お会いするのは初めてである。
その彼は、私達を着席させるなり、言ったのだ。
この国で製作可能で、運用出来る戦闘機を作りたい、と。
御存知かも知れないが、この小さな国は豊かな地下資源と沿岸の海洋資源を賢く利用して、経済的には大変豊かな国である。小規模ながらバランスの取れた工業も有し、国内の需要を充分賄っていた。少しだが隣国との貿易にも回せる生産量を誇っていたのである。
この地域では最も古く、力のある族長の家系が国を治め、他民族が治める近隣の国々とも、適度なパワーバランスを保ち、外交上も安定していた。
つまり国防上、国産戦闘機を生産する必要など、ほとんど無かったのである。
事実、空軍は存在したが、装備機は軽飛行機改造のCOIN機(局地戦用偵察攻撃機)と海洋監視用軽哨戒機ばかりで、ガスタービン・エンジン搭載機は、国王専用機と少数のヘリコプターばかりだったのだ。空軍の仕事そのものも、国境地帯の警備や同任務の陸軍の支援、海難捜索や密輸船の監視――この平和な国に麻薬を持ち込もうとする馬鹿者がいるのだ――等、大国の目からすれば警察や沿岸警備隊の任務とされるようなものばかり。戦闘機などという物騒な兵器を持つ必要など無いように思われた。
実際、私達と同席した首相も内務大臣――この国の小さな軍隊に国防省は不要で、軍は内務省の一部局によってシヴィリアン・コントロールされていた――も、国王になぜそんな物が必要なのかとお訊ねしたものである。
彼の答は明解だった。
それを作る能力が我が国にある事を、対外的に実証して見せる事が重要なのだ。使うために必要なだけなら、外国の優秀な、実績のある機種を必要数買えば良い。だが、その技術は、そのまま国全体の財産となる。有形無形の形で我が国の自信と武器となるのだ、と……。
つまり、国家レベルの技術開発計画だというわけである。
後に、麻薬密輸業者の活動が激化しつつあり、将来航空機による密輸も考えられるようになったので、この阻止のための戦闘機が、少数だが本当に必要であるという事を知らされたが、それは計画がスタートした後での事だった。当時の私にはあずかり知らぬ事だったのである。
国王は出来るかと問われた。
即答は出来ない。
RATF始まって以来の大仕事である。所長は国王に許しを請い、10日後に奉答いたしたいと述べた。そして、こう質問したのだ。
その戦闘機は、何年後に開発完了しているべきだとお考えか。
今のRATFの陣容で、簡単に出来る仕事ではないが、所長は「出来ない」と即答したくなかったのだ。「出来る」ための方策を持った回答を用意したかったのである。それがかなりの予算と新しい人材を要するという回答でも、それが不可能かどうかは国王と2人の大臣の判断の範疇だ。RATFとしては、それが技術的に可能かどうかが、求められている答なのである。
そしてそれを検討し、答えを出すためには、最低限必要なのが開発期間だ。どんなに期間がかかってもかまわないのなら、技術の世界では、理論上実現可能だとされた技術は、必ず実現可能だ。
だから、想定開発期間が決まっていない開発は、現実のマーケットでの実用を想定していないと云って良い。
国王は、この開発されるべき技術には、市場が存在すると宣言された。それは国威発揚という曖昧模糊としたものではあるが、完了した時点で、この国にとって意味を持つ内容でなければならないのだ。
さらに、現実に空軍に配備するのなら、配備開始時期が予定されていなければ、その時に想定される状況――この場合は国防状況――に即した性能の物を想定出来ない。それがあって初めて、開発予算が見積もれる。それが現実的なものになるのか、それとも見積もり不能なのかどうかは、それからだ。
この質問に、国王はにこりと微笑んで、答えられた。
出来れば3年、長くても5年で完了せよ。その期間で出来る、最高の性能の戦闘機が欲しいのだ。
かの堀越次郎は、ゼロ戦開発に1937年から1940年までをかけたと聞く。約4年だ。国王はこれを想定されているのだろう。だが、私も知っていたのだが、堀越氏はそれ以前に2機種、戦闘機開発を手掛けている。1機種は制式化され、96式艦上戦闘機となって、やはり2年程度、その前の7試艦上戦闘機が初期飛行試験段階で不採用になったが1年、合計6年間の開発経験を、1932年から1936年までの4年間で経験している。すでに2機種で開発主務として働いた経験がある天才の仕事を、その天才が持ったチームより少ない人数で、しかも戦闘機開発の経験ゼロの者ばかりなのにやらせようというのだ。
自分の胸の内の、小さく燃えるものはあったが、無茶だと思った。
だが、あの国王の御前で、そんな弱音は吐けない。それは、彼の目を、間近に見た者にしか判らない感慨だろう。
そして、国王はお言葉を付け加えられた。
金の心配は私と政府がする事だ。君達は気にするな。
所長は私を見た。
私は、円卓の下で3本の指を見せた。
最低、3つの開発案を次の御前会議に提示するべきだ。
技手長は、10本の指を広げて見せた。
最低、開発試作の作業だけで10人の工員が必要だ。(今の工房の工員は12人、手空きは6人だった)
そして、2本の指。
2人、技手長が必要だ。(今のRATFに技手長は彼しかいない。工務長はいなかった)
所長は顔を上げ、答えた。
陛下、RATFとしての概算要求資金も含めて、3案を10日後に提示奉りたく存じます。それで、よろしゅうございましょうか。
国王は、頷いた。
工房に戻ってからが大騒ぎとなった。
工房の総勢は30人。今までは輸入した軽飛行機を空軍の色々な用途のために改造するのが主な仕事で、一から飛行機を作る事など、暇な時の自主研究でペーパープランを考える程度がせいぜいだったのだ。それも、大部分がスポーツ用軽飛行機のプランだった。設計部門は6人だけ。私と、もう1人アランという私より3才若い男が外国人だ。他の4人は国費留学で先進国の大学に学んだ、パワーはあるが経験不足の、この国の若者達だけだ。
私もアランも、自分の故国である“先進国”で、軽飛行機の設計業務に携わった事はある。大メーカーの下請けで戦闘機の部品設計をやった事も、私はあった。アランも、軽攻撃機の尾翼の、構造の設計だけやった事がある、というだけだ。コンセプトから一つの機体設計をまとめた事など、無い。これでは、大学で全体的な設計手法を学んで間が無い、若いこの国の技術者達の方がましかも知れない。
1時間後、若い技術者達の「喜びのダンス」の輪舞で破壊されかかった設計室を修復してから、やっとまともな話が出来るようになった。私とアラン、そして若手の中では最も年嵩のマキルと、3人で叩き台となるコンセプト・モデル(概念設計案)を作ってみる事になった。
私は言ったものだ。
先ずこの工房の現状で、年産1機でも良いから、製作可能な機体を考えよう。エンジンは輸入。超音速性能は高望みしすぎだろうから、亜音速で運動性重視の物が良かろう。ちょうど、亜音速高等練習機を単座にしたような機体なら、設計も比較的楽だし、用途は軽攻撃機だが、手本になる外国の既製機もあるから、1機輸入してもらって研究材料にしよう。
私はマキルに、入手可能な軽攻撃機(中古で充分!)に、今何があるのか調べてくれるよう頼み、アランは、適当な既製エンジンのリストアップと、国産出来そうな装備品とその国内メーカーのリストアップをする事になった。私はと云うと、空軍の3つある基地を回り、軍の整備兵達が、どの程度の機体を整備可能か、再教育プログラムの骨子も含めて調べて来る事になったのである。
基本調査期間は、7日間とした。残り3日間で、基本コンセプトを含めた国王への回答を、まとめるつもりだった。
私はリケル・ナウエ。本名ではないが、この国ではこれで通している。本名の意味をこの国の言葉に意訳したもので、私のこの国での最初の雇い主が、名付け親だ。
当時はロアのメーカーである王立航空技術工房(RATF)の技術者で、ロアの基本設計から携わった開発主務者だった。引退してもこの国に残ってしまった今は、中学校の子供達に基礎的な技術を教える小さな塾を、恩給を受けながら細々とやっている老いぼれエンジニアである。
私がこの国にやって来たのは30年も以前になる。その時もう40才にもなり、技術者としてはすでに、実戦力としておぼつかないとされる年代になっていた私は、故国で会社を辞職する破目に追い込まれ、まだ工業技術的には未熟だったこの国に、ひょんなきっかけから職を求めてやって来た。幸い、設立されたばかりのRATFに拾ってもらい、2年が過ぎた頃、国王の発案で開始されたのが、国産戦闘機開発計画だったのである。
私が開発主務者に選ばれた理由が何だったのか、所長ははっきりした答を私に与えてくれた事は、今に至るも無い。
ただ、技術者の中で最も年嵩であったというだけだったのだと、今では私が一人合点に考えているだけである。
何はともあれ、突然天から降って来たかのごとき大仕事が、たった1本の電話の呼び出しから始まったというのは、いかにもこの国とあの国王ならではだ。私と所長、それに製作現場の長である技手長は、取る物も取り敢えずに、呼ばれるままに王宮に急いだのだった。
雨期が始まる直前の、暑い日だったのを憶えている。
王宮のセキュリティというのは、基本的に人間の記憶が頼りの、ごく原始的で簡単なものなので、すでに国防省関係で出入りの実績がある私達は、顔パスである。
会議室に通されると、すでに国王はじめお偉方が待っていた。
私は国王をいただく国の生まれ育ちなので、これだけでもう恐縮至極である。
この国の作法などすっかり忘れてしまって、出身国の作法で最敬礼してしまっていた。
国王は記録上では私より2才若いのだが、第一印象は逆に少し年長に見える。この陽気でエネルギッシュな国においても、国民の誰よりも光り輝いて見える方だ。
直接お会いするのは初めてである。
その彼は、私達を着席させるなり、言ったのだ。
この国で製作可能で、運用出来る戦闘機を作りたい、と。
御存知かも知れないが、この小さな国は豊かな地下資源と沿岸の海洋資源を賢く利用して、経済的には大変豊かな国である。小規模ながらバランスの取れた工業も有し、国内の需要を充分賄っていた。少しだが隣国との貿易にも回せる生産量を誇っていたのである。
この地域では最も古く、力のある族長の家系が国を治め、他民族が治める近隣の国々とも、適度なパワーバランスを保ち、外交上も安定していた。
つまり国防上、国産戦闘機を生産する必要など、ほとんど無かったのである。
事実、空軍は存在したが、装備機は軽飛行機改造のCOIN機(局地戦用偵察攻撃機)と海洋監視用軽哨戒機ばかりで、ガスタービン・エンジン搭載機は、国王専用機と少数のヘリコプターばかりだったのだ。空軍の仕事そのものも、国境地帯の警備や同任務の陸軍の支援、海難捜索や密輸船の監視――この平和な国に麻薬を持ち込もうとする馬鹿者がいるのだ――等、大国の目からすれば警察や沿岸警備隊の任務とされるようなものばかり。戦闘機などという物騒な兵器を持つ必要など無いように思われた。
実際、私達と同席した首相も内務大臣――この国の小さな軍隊に国防省は不要で、軍は内務省の一部局によってシヴィリアン・コントロールされていた――も、国王になぜそんな物が必要なのかとお訊ねしたものである。
彼の答は明解だった。
それを作る能力が我が国にある事を、対外的に実証して見せる事が重要なのだ。使うために必要なだけなら、外国の優秀な、実績のある機種を必要数買えば良い。だが、その技術は、そのまま国全体の財産となる。有形無形の形で我が国の自信と武器となるのだ、と……。
つまり、国家レベルの技術開発計画だというわけである。
後に、麻薬密輸業者の活動が激化しつつあり、将来航空機による密輸も考えられるようになったので、この阻止のための戦闘機が、少数だが本当に必要であるという事を知らされたが、それは計画がスタートした後での事だった。当時の私にはあずかり知らぬ事だったのである。
国王は出来るかと問われた。
即答は出来ない。
RATF始まって以来の大仕事である。所長は国王に許しを請い、10日後に奉答いたしたいと述べた。そして、こう質問したのだ。
その戦闘機は、何年後に開発完了しているべきだとお考えか。
今のRATFの陣容で、簡単に出来る仕事ではないが、所長は「出来ない」と即答したくなかったのだ。「出来る」ための方策を持った回答を用意したかったのである。それがかなりの予算と新しい人材を要するという回答でも、それが不可能かどうかは国王と2人の大臣の判断の範疇だ。RATFとしては、それが技術的に可能かどうかが、求められている答なのである。
そしてそれを検討し、答えを出すためには、最低限必要なのが開発期間だ。どんなに期間がかかってもかまわないのなら、技術の世界では、理論上実現可能だとされた技術は、必ず実現可能だ。
だから、想定開発期間が決まっていない開発は、現実のマーケットでの実用を想定していないと云って良い。
国王は、この開発されるべき技術には、市場が存在すると宣言された。それは国威発揚という曖昧模糊としたものではあるが、完了した時点で、この国にとって意味を持つ内容でなければならないのだ。
さらに、現実に空軍に配備するのなら、配備開始時期が予定されていなければ、その時に想定される状況――この場合は国防状況――に即した性能の物を想定出来ない。それがあって初めて、開発予算が見積もれる。それが現実的なものになるのか、それとも見積もり不能なのかどうかは、それからだ。
この質問に、国王はにこりと微笑んで、答えられた。
出来れば3年、長くても5年で完了せよ。その期間で出来る、最高の性能の戦闘機が欲しいのだ。
かの堀越次郎は、ゼロ戦開発に1937年から1940年までをかけたと聞く。約4年だ。国王はこれを想定されているのだろう。だが、私も知っていたのだが、堀越氏はそれ以前に2機種、戦闘機開発を手掛けている。1機種は制式化され、96式艦上戦闘機となって、やはり2年程度、その前の7試艦上戦闘機が初期飛行試験段階で不採用になったが1年、合計6年間の開発経験を、1932年から1936年までの4年間で経験している。すでに2機種で開発主務として働いた経験がある天才の仕事を、その天才が持ったチームより少ない人数で、しかも戦闘機開発の経験ゼロの者ばかりなのにやらせようというのだ。
自分の胸の内の、小さく燃えるものはあったが、無茶だと思った。
だが、あの国王の御前で、そんな弱音は吐けない。それは、彼の目を、間近に見た者にしか判らない感慨だろう。
そして、国王はお言葉を付け加えられた。
金の心配は私と政府がする事だ。君達は気にするな。
所長は私を見た。
私は、円卓の下で3本の指を見せた。
最低、3つの開発案を次の御前会議に提示するべきだ。
技手長は、10本の指を広げて見せた。
最低、開発試作の作業だけで10人の工員が必要だ。(今の工房の工員は12人、手空きは6人だった)
そして、2本の指。
2人、技手長が必要だ。(今のRATFに技手長は彼しかいない。工務長はいなかった)
所長は顔を上げ、答えた。
陛下、RATFとしての概算要求資金も含めて、3案を10日後に提示奉りたく存じます。それで、よろしゅうございましょうか。
国王は、頷いた。
工房に戻ってからが大騒ぎとなった。
工房の総勢は30人。今までは輸入した軽飛行機を空軍の色々な用途のために改造するのが主な仕事で、一から飛行機を作る事など、暇な時の自主研究でペーパープランを考える程度がせいぜいだったのだ。それも、大部分がスポーツ用軽飛行機のプランだった。設計部門は6人だけ。私と、もう1人アランという私より3才若い男が外国人だ。他の4人は国費留学で先進国の大学に学んだ、パワーはあるが経験不足の、この国の若者達だけだ。
私もアランも、自分の故国である“先進国”で、軽飛行機の設計業務に携わった事はある。大メーカーの下請けで戦闘機の部品設計をやった事も、私はあった。アランも、軽攻撃機の尾翼の、構造の設計だけやった事がある、というだけだ。コンセプトから一つの機体設計をまとめた事など、無い。これでは、大学で全体的な設計手法を学んで間が無い、若いこの国の技術者達の方がましかも知れない。
1時間後、若い技術者達の「喜びのダンス」の輪舞で破壊されかかった設計室を修復してから、やっとまともな話が出来るようになった。私とアラン、そして若手の中では最も年嵩のマキルと、3人で叩き台となるコンセプト・モデル(概念設計案)を作ってみる事になった。
私は言ったものだ。
先ずこの工房の現状で、年産1機でも良いから、製作可能な機体を考えよう。エンジンは輸入。超音速性能は高望みしすぎだろうから、亜音速で運動性重視の物が良かろう。ちょうど、亜音速高等練習機を単座にしたような機体なら、設計も比較的楽だし、用途は軽攻撃機だが、手本になる外国の既製機もあるから、1機輸入してもらって研究材料にしよう。
私はマキルに、入手可能な軽攻撃機(中古で充分!)に、今何があるのか調べてくれるよう頼み、アランは、適当な既製エンジンのリストアップと、国産出来そうな装備品とその国内メーカーのリストアップをする事になった。私はと云うと、空軍の3つある基地を回り、軍の整備兵達が、どの程度の機体を整備可能か、再教育プログラムの骨子も含めて調べて来る事になったのである。
基本調査期間は、7日間とした。残り3日間で、基本コンセプトを含めた国王への回答を、まとめるつもりだった。
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軽戦闘機 ロア
壇那院
2010-08-02T19:33:20+09:00
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軽戦闘機 ロア
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序
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軽戦闘機 ロア
壇那院
2010-07-01T00:01:00+09:00